安重 春奈(Yasushige Haruna)
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安重 春奈(Yasushige Haruna)

株式会社FoundingBase

美祢team / KeyMan
1999年生まれ、山口県山陽小野田市出身。多種多様な人がやってくるほぼゲストハウス状態の家に育つ。様々な人との出会いをきっかけに、井の中の蛙であることを自覚。
慶應義塾大学法学部法律学科へ進学。大学では、限界集落での関係人口づくりの活動を行ったり、自主イベント「スナックはるな」を定期開催。卒業後は、株式会社ネクストビートに入社。キャリアアドバイザーとして地域の観光業をサポートする新規事業に従事。「学ぶ」ではなく「自分のミッションに近づく実践をする」ためにFoundingBaseへのジョインを決意。2021年11月より山口県美祢市で公設塾minetoのスタッフ。

「面白い人になりたい」の原体験

両親の影響で、ちょっと変わった幼少期を過ごしました。
私の育った家は、田舎にあるにも関わらず、血気盛んな若者や、通りすがりの海外の方が行き交うような家でした。ほぼゲストハウス状態です。
というのも、父親は道ばたでガイジン(外国籍の人に対して父親が使う愛称。)に声をかけては家に連れてかえって瓦そばと日本酒で歓待するのが趣味で、母親は頑張る若者を見つけたらご飯を食べさせ議論を交わすのが趣味だったためでした。
そんな輪の中に、子供ながら、私も混じっていました。

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様々な生き方・様々な価値観の人に出会ったことで、「自分が見ている世界が全てではない」ということをなんとなく感じるようになりました。
また、日本酒片手に夢や価値観を語る大人はざらざらとした「生」をむしろ楽しんでいるようで、見ていて面白く、自分も「そっち側に行きたい」という気持ちをぼんやりと持つようになったのもこのときでした。

トーキョーの衝撃と井の中の蛙意識の芽生え

地元の公立中学校に進学してからは、勉強、部活、生徒会、関わること一つ一つにしゃかりきになりました。
“自分ががんばれば良い結果が返ってくる”ということを体感したことで、後に猪突猛進路線を講じられるようになったように思います。

高校時代は、起承転結でいう転の時代でした。
しゃかりきに頑張れば良い結果が帰ってくる実感をひっさげて、ほくほくと高校に進学。入学当初はついていくのに必死だった勉強も、しゃかりき力でどうにか持ち直し、高校という環境でもほくほくと満足していました。

進路選択を目前にした高校2年の冬、転機が訪れます。
当時大学生だった知人から、東京で開催されるあるイベントを紹介されました。全国から集まってきた高校生と、有識者、国会議員が議員会館に集まって、10のテーマについてディスカッションするというイベントだったのですが、そのテーマの一つに地方創生がありました。
当時の私は、大好きな地元と紐付いて「地方創生」に関心があったため参加を決めました。

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初めての飛行機で初めての東京。
しかし、イベント参加を通して得たのは地方創生に対するさらに深い知見や、国会議員に会えて嬉しい!ではなく、参加していた同世代の視座が圧倒的に高いことの衝撃でした。

学生団体で社会に働きかけたり、個人として地域で小さなチャレンジをしたり、学外のフィールドで軽やかに活動している同世代。「ああ、私は学校で満足しちょったけど、高校生でもこんなに地域や社会と関われるんや」と初めて知りました。
井の中の蛙意識の芽生えでした。

軽やかに活動している同世代の多くは、都市部に住んでいました。
そこで気づいたのは、
私が、‟ある”ことさえ知らん選択肢や可能性を知るきっかけが、トーキョー(都市)にはたくさん転がっていること。逆にいえば、地域に生まれ育った場合の、広い世界に気づき、「主体的になるまでの道のりの難しさ」でした。このことに気づいたとき、失望にも近い感覚だったのを、今でも覚えています。

イベントを経て山口に戻った私は、自分も学外で主体的な活動をしたいという衝動に突き動かされ、地元の最寄駅の活用を考える活動をしたりなんかもしました。

生き心地の良さというテーマに出会う

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井の中の蛙意識の芽生えによって、上京を決意し、無事トーキョーでの大学生活が始まります。
衝撃を発散するように、在学中は、様々なことに手を出しました。

その中でも大学生活のメインとなったのは、地域の現場に飛び込むことでした。
ゼミの一環で富山県南砺市の限界集落の村をフィールドに関係人口づくりの活動をしたり、島根県雲南市でインターンしたりなど、課題先進地と言われる地域に飛び込みました。

南砺市・雲南市の経験から感じたのは、その地域の命運は、関係人口を増やすことだけでなく、住民自身が主体的であるかということ、まちの自治力にかかっているということでした。
さらに、まちを考える上で、いちばん大事なのは、「関係人口を創出したり、移住定住を促進したりして地域を残すこと」ではなく、「そこに住む人が最後まで“生き心地いいな”と思ってそのまちですごせるかどうか」ではないかと考えるようになりました。

それ以降、卒論で自殺率を指標に生き心地の良いコミュニティについて研究したり、生き心地の良い場の実践としてスナックはるなというイベントを開催したりなど、「生き心地の良さ」をひっかかりポイントに活動するようになりました。

スナックはるなは、「真面目に楽しく語りましょ」がコンセプトのスナック型イベントです。普段は別々のコミュニティにいる私の知人が、カウンターで会すると、不思議なことに、深い話が始まります。

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関係性が深い人にはむしろ話せない真面目な話を、ゆるやかな関係性の相手には、ざっくばらんにできる。このことに気づいてからは、そんな関係性を提供することで心地よさを生むことがスナックはるなの目的になりました。

四年間かけてトーキョーの衝撃をトーキョーで発散する中で、「生き心地の良さ」というテーマに出会いました。
そして、それにアプローチする方法として、人が主体的である仕組み、自治の領域をつくること、ゆるやかな関係性の場の提供、といったことも思い描くようになりました。

シンプルに考え、辿り着いた美祢

将来、地域のための事業をすることを念頭に、まずは事業をまわすとは?成長する事業の作り方とは?を「学ぶ」。これが、私の就活の大きな軸でした。そんな就活を経て、株式会社ネクストビートに入社しました。

「学ぶ」にあたって重要な、マネジメント層までみえやすい企業フェーズにあり、かつ人口減少社会の課題に取り組むという理念に共感したというのが入社理由でした。

入社後は、キャリアアドバイザーとして、新規事業である旅館やホテルへの人材紹介事業に携わりました。
しかし、1ヶ月が過ぎた頃、「学ぶ」と言い訳して、自分の本当にしたい「生き心地の良さ」を実装するための実践から逃げているのではないかという考えが拭いきれなくなりました。

問題は、環境(会社)ではなく、自分。そうはっきり分かってからは、自分の姿勢を取り戻すための手段として、会社を離れる選択が自然とできたように思います。

会社を離れてからは、主体性や自治という「生き心地」のためのそれっぽいキーワードに、「どこの人」として実践すればええんやろう、ということを改めてぐるぐると考えました。
たくさんの人の力を借りて、シンプルに考えられるようになった末にたどり着いたのが、私にとっての「井戸」であり、初めて問題意識を持った領域である、山口の教育現場でした。

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こうして今は、「山口の教育現場の人」となりました。
地元山口県山陽小野田市のお隣、美祢市の子どもたちとともに、「主体的になるまでの道のりの難しさ」に向き合っています。
まずは私自身が、学び続け、夢を語り、面白くあることで、生徒たちの主体性を引き起こせると考えています。その先に、「生き心地のよい社会」があると信じて。

最後までご覧いただき、ありがとうございました!


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「自由」をUpdateする というMISSIONのもと、地方を軸に事業展開している地方共創ベンチャー企業です。