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吉崎 秋音(Yoshizaki Akine)

スペース&ツアー事業部 / 宮津市
1998年生まれ。神奈川県横浜市出身。お茶の水女子大学に進学し、舞踊・スポーツなどの人間の身体活動や表現について学ぶ。大学卒業後、新卒で積水ハウス株式会社に入社。不動産活用における提案・企画営業を担当する。2022年6月にFoundingBase入社。京都府宮津市の「クロスワークセンターMIYAZU」を拠点として、関係人口創出事業に携わる。


今、地方を選択している理由

社会2年目、転職と共に地方へ移住。
現在、京都府宮津市という東京から最も遠い場所と言われているこの地で、クロスワークセンターMIYAZUを拠点として関係人口創出事業に携わっています。

私は生まれも育ちも横浜で、中高一貫の女子校に通い、東京の女子大に進学。狭い世界の中で、外に飛び出すこともなく、ダンス等の舞台芸術に熱中する毎日でした。

つまり、地方生まれな訳でもなく、地元への熱い想いも特になく、外の地域活動を経験した訳でもなく、バックパッカーのようにあらゆる世界を見てきた訳でもない私が今、地方で働くことを選択するに至ったこれまでのお話をしたいと思います。

ダンスに熱中した幼少期

3歳から大学卒業まで、一貫して踊る日々でした。
約20年間ダンスに携わる中で、3歳〜小学生までは主にクラシックバレエに熱中していました。この最初のバレエとの出会い、もっと言えばバレエの先生との出会いが、今の私の性格に大きな影響をもたらしていると思います。

先生は、「他人と比べるのではなく、自分と闘いなさい。」と口癖のように言っていました。
とても印象的だった先生の言葉が、今でも染み付いています。

ここから自分と向き合って闘う、行動する、そのために挑戦する、といったワードが私の性格として形成されていきました。

共創を経験した中高時代

そして共に創り上げる楽しさを実感した中高時代。
校則の厳しいキリスト教系の中高一貫女子校に進学し、そこでダンス・歌・演劇を行う『音楽部』に入部します。部員数も多く、上下関係は学校で1.2位を争う厳しい部活でした。
ここで、私はバレエで経験していた『自ら踊る楽しさ』から、『みんなと共に舞台を創り上げる楽しさ』を味わうようになります。

部活では、作品のテーマ、演出、振付構成、音楽編集、衣装、大道具づくりからすべて自分たちで行います。皆で役割を分担し、毎日のように話し合いを重ね、試行錯誤を繰り返す。
部活を通じて、『自分のため』に行動や挑戦をしてきた自分矢印の思考から、『チームのため』に何ができるのか、どう行動すべきか、と常に他者・チーム矢印の思考へといつの間にか変化をしていました。

経験の集大成の大学時代

大学では、これまで本気で取り組んできたダンス・舞台を学問的に学びたい&中高時代に経験した「舞台の共創」をさらにレベルの高い環境で磨き上げたいと考え、お茶の水女子大学の「芸術・表現行動学科」というなんとも珍しい学科に進学。
同じような想いを持って集まった大学同期16人で、授業も部活もダンス漬けの濃い充実した日々を送っていました。
ただ、学内の活動が充実しすぎたゆえに、学外との交流・飲み会・ボランティア・長期留学といった大学時代ならではの経験は皆無です。(笑)
ダンスを踊る・舞台を創るという幼少期〜中高時代のさらに延長線上、集大成の場として大学時代があります。

新たに『まちづくり』を志した就職活動

そして、就職活動時期を迎え、私は『まちづくり』をキーワードとして不動産開発業界を志望しました。
・・・これまでの話からはかなり唐突ですね。
私の考えとしては、『舞台芸術』という分野は大学時代で1つピリオドをつけ、狭い世界で生きてきたからこそ、舞台と無縁な広い世界を見る必要があると考えました。
そこで舞台共創の経験を通じて得た自らの立ち回りや力が発揮できる場として、1つ『まちづくり』というワードが自分の中でビビッときました。
というのも、舞台共創という様々な役割の人たちと共に一つの舞台を創り上げていく過程が、あらゆる業種と関わりながら、共に『街』というとても大きな、みんなにとっての舞台を創り上げていく『まちづくり』と重なったのです。

『まちづくり』とは広義に様々な職種が挙げられますが、当時の私はまちづくり=不動産開発という思考に固まっていました。
「地域交流を生み出し、生活に新しい豊かさを提案できるような建物を建てたい。」
「建物を拠点として、まちの人と共に、活気づいたまちをつくりたい。」
という漠然とした想いのもと不動産業界に進むことを決意しました。

そして積水ハウス株式会社に新卒で入社します。戸建てのイメージが強い積水ハウスですが、マンション・オフィス・商業施設等の建物を扱い、不動産活用の提案、企画等を行う部署に新卒女性初の営業として配属されます。

FoundingBaseとの出会い

新入社員ではありましたが、大きな案件を任せていただいたりと、とても恵まれた環境ではありました。自分よりはるかに目上で経験豊富な方々を相手にお仕事をさせていただくことばかりだったため、とにかく学びが多く、吸収した1年でした。

ただ約1年経った段階で既に自分が本当にやりたいと描いたまちづくりや周りの社員との考え方の違いに、違和感を感じながら仕事をしていました。
この違和感を持ちながら、仕事を任せてもらっている状況が大きな嘘をついているような、苦しい気持ちにもなっていきました。

私は東京のビルの1角にいながら、単に大きな建物を建てたい訳ではない。
営業手当てで大きな収入を得たい訳でもない。
私はもっと町のこと、町の人のこと、町の生活のこと、町の課題に踏み込み、共に町の人と共にまちづくりをしていきたい。

この想いを実現するためにはどうするべきか改めて考えようと、転職したいというよりかは、他の会社の考え方を知ろうくらいの気持ちでWantedlyを眺めていました。そこでFoundingBaseに出会います。

『地方共創』
地域に移住し、地域の人と共に魅力あるコンテンツを生み出し、まちを変えていく。
私が感じていたまちづくりへの違和感を払拭する考え方でした。
ここで出てきた地方という新たな選択肢。

前述通り、私は地方生まれな訳でもなく、学生時代に地方の地域活動を経験した訳でもなく、バックパッカーのようにあらゆる世界を見てきた訳でもありません。

ただ私にとって地方は、魅力の塊だと感じました。
自然・食・歴史・濃い人間関係といった『地方の魅力とは!?』といったら一般的に思いつく魅力要素を確かに魅力と感じるのはもちろんのこと、(もともと遊びが自然派ではありました。)

これからさらなる魅力を創り出す余白があるという魅力、
自分で愉しさや面白さを見出していくことができるという魅力。

地方の魅力を心から魅力と感じ、とてもワクワクしました。
そしてこの魅力をたくさん引き出し、私が本来志していた、
町の人と共に、町をつくっていく。
これをfoundingbaseのメンバーと共に実現していきたいと強く思いました。

この想いが原動力となり、FoundingBaseの面接を受け、前職を退職し、初めての地方・初めての関西・初めての宮津に移住をしてきた、という訳です。

何はともあれ、人生1回だからこそ、その人生を思いっきりやりたいようにやろう、本気で楽しもうと思った、ということです。

現在、そしてこれから

そして現在、京都府宮津市にあるシェアオフィス&コワーキングスペース『クロスワークセンターMIYAZU』を拠点として関係人口創出事業に携わっています。

移住して約2カ月。
宮津には天橋立だけではない、たくさんの魅力が詰まっていることを知りました。そしてこれからも新たな魅力との出会いがあると思います。こうして日々宮津が好きになり、宮津のためにコトを起こしていきたいという強い想いで毎日仕事も遊びも愉しんでいます。

まずはこのクロスワークセンターに多く人が関わり、常にコトが起こっている状態を目指す。
コンセプトである『居場所と出番を創り出し、共創の出発点を提供する』を実現するために自分が何ができるか、何をすべきか、そしてその先に宮津の未来をどう築いていくことができるのか、日々奮闘しています。


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