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大越優斗(Okoshi Yuto)

教育事業部/美祢市
1995年生まれ。埼玉県出身。横浜国立大学理工学部卒。大学時代は体育会サッカー部主将としてチームを牽引。卒業後は埼玉県公立高校の理科教諭として4年間勤務。総合的な探究の時間の企画運営を中心に、生徒主体の学びを設計していく中で、学校だけではなく地域全体で子どもたちを育てていく必要性を感じ、FoundingBaseへジョイン。2022年4月より山口県美祢市で公設塾minetoのスタッフとして活動中。


「やらされていた」感覚で過ごした幼少期

人口20万人、東京まで電車で40分。いわゆるベッドタウンと呼ばれる市で育ちました。
長男だったこともあり、過保護に育てられていたと思います。

父親の影響で幼少期からサッカーを始め、休日はほとんど練習に費やしていましたが、正直サッカーは好きではなかったし、辞めたいと思ってました。でも両親とも手を抜いたり、辞めたりすることに対してとても厳しかったので、言い出せず。他にも色々と「やらされている」感覚で過ごしていた小学校時代でした。

一方で、当時から理系教科が好きで、わからないことがあると、授業そっちのけでずーっと考えていたりする子供でした。

進路選択を機に、初めて自己決定をする

小学校までは、与えられたものをこなしている感覚でした。しかし、中学校に進学するとき、どのチームでサッカーをするか、自分で決めなければいけない瞬間が訪れました。とあるチームの練習会に参加したとき、そこでプレーする先輩の生き生きとした姿を見て、自分もここでサッカーがしたい!と思いました。色々あって、両親はこの選択に大反対だったのですが、おそらく初めて反抗し、何とか説得。自分で決めた進路だったからか、この3年間はめちゃめちゃ意欲的に取り組んでいたし、充実した毎日を過ごしていました。

高校は、埼玉の強豪校である武南高校に進学しました。当時のサッカー部は1学年60人を超える部員数。これまでとは比べ物にならない周囲のレベルの高さ。どんなに努力しても周りには追い付けない劣等感を抱えながらも、自分にしかできないことは何かを探していました。

高校3年の夏ごろからようやくレギュラーに定着し、夏のインターハイでは全国大会に出場、冬の選手権大会は県ベスト4。悔しさもありましたが、自分の中ではサッカーをやり切った感覚がありました。

本気のチャレンジを通して、自分のやりたいに気付く

幼少期から理系教科が好きで得意だったため、理工学部に進学しました。大学ではサッカーを続けるつもりはありませんでしたが、特段他にやりたいこともなく、体育会サッカー部に入部しました。この大学サッカー部での4年間で、自分の価値観を大きく変わりました。

このチームは、監督もコーチもおらず、選手が主体となって運営。なんならグラウンドは土だし、学校からの資金援助なんてほとんどない。これまでどれだけ「与えられた」環境でサッカーができていたのかに気付きました。

特に、3年次に主将を務めたときは試行錯誤の連続でした。 本気でプロを目指している選手がいるわけでもない中、チームとしてどこを目指すのか。自分たちが楽しいだけでいいのか。横浜国立大学サッカー部の強みはなんなのか。応援してもらえるチームに成るためには何が必要か。せっかく入部してくれた部員たちが、サッカー以外にも成長するためにはどうすればよいか。正直全くうまくいきませんでしたが、この時の試行錯誤し続けた経験が、今の自分を支えています。余談ですが、後輩たちがその意志を受け継いで頑張ってくれているのがめちゃめちゃ嬉しいし、いろいろチャレンジしてみてよかったなと思ってます。笑

理系教科が好きで、研究者とか向いてるだろうなと思って理工学部に進学し、実際に研究も面白く感じていました。一方で、与えられたことに取り組むばかりで、本当に主体的にチャレンジする機会の少なさに疑問を感じるようになりました。たまたま自分にはそういう巡り合わせがありましたが、そういった機会に出会えない人のほうが多い。結局研究者の道はやめ、最も人に関わることのできる仕事である教員を目指すことにしました。

4年間教員をして感じたモヤモヤ

様々な業務に忙殺され、なぜ教員になったのかを忘れかけていた1年目の冬、たまたま参加した研修会で衝撃を受けました。様々な高校から集まった、100人以上の先生の前で、社会をより良くするため、自分の熱い思いを堂々と話す生徒の姿。自分の目指すものを思い出しました。どうやら「探究」というのがキーワードらしい。それからは研修会や授業見学に 積極的に参加し、関連する本を読みまくりました。

2年目に高1の担任になると同時に、総合的な探究の時間の担当に立候補しました。学校内に前例がない授業であったため、一から内容を企画できました。
当初は本当にガバガバな設計で、自分のやりたいが先行している無茶苦茶な授業だったと思います。笑

会議のほとんどの時間をこの授業設計の議論に費やしてくださった先生方には、頭が上がりません。今の自分があるのは、このときの環境のおかげだな、と本当に思います。

一方で、教員として走り続ける中で、拭いきれないモヤモヤしたものもありました。
1つは、自分の事。子供たちにとってこれがいいことだと勝手に決めて押し付けていないか。
2つ目は、社会の事。子供たちの考え方や行動は、家庭や地域の影響を強く受けていて、学校だけでは簡単に変わらない。そして、大人を変えていくのはもっと難しい。
自分は次何をすべきかを、次第に考えるようになりました。

自分がやりたい事やできる事を見つけるだけでなく、「それは自分がやらなければ」と思える事を見つけてほしい。私が教育に関わりたい理由はココにあります。子供たちに様々な原体験を提供し、「自分がやらなければ」を見つけてもらう。そして、その子供たちの姿を通して、周りの大人や地域を巻き込み、社会全体で子どもたちを育てていく環境を作る。

FoundingBaseでなら、自分のもやもやに対して向き合うことができるのではないか。なにより、ここでならもっと熱くなれる直感があったので転職することを決めました。

過去は「いつか」変えられる。そのための本気の挑戦

過去は「いつか」変えられる。ある方から頂き、とても大切にしている言葉です。何かに全力で挑戦することは、必ずしも良いことばかりではありません。結果的にうまくいかないこと、傷つくこともたくさんあります。でも、本気で挑戦した経験は、何年後何十年後か分かりませんが、「いつか」その意味を見出すことのできる日が来ます。

「塾だけど塾じゃない」塾。「子どもたちの好奇心を引き出し、挑戦する力を育てる」をコンセプトとした公設塾mineto。この場所から、子どもたちの本気の挑戦に、とことん向き合っていきたいと思います!


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