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池田 彰 / 道の駅事業部長 兼 ふるさと納税事業部長

道の駅事業部 / ふるさと納税事業部 管掌
1982年生まれ。大阪府豊中市出身。立命館大学産業社会学部を卒業後、KDDI株式会社に入社。営業、プロモーション、マーケティング、企画など様々な部門の経験を経て、エンターテインメントビジネスのマーケティングマネージャーやキャッスレス決済の営業企画マネージャーを経験。2021年12月FoundingBaseへ入社。高知県東洋町における海の駅東洋町を中心とした道の駅事業に携わる。


40歳での転職、そして移住

現在、私は高知県東洋町にある「海の駅 東洋町」という場所で一次産業支援や観光事業支援という観点から地方創生、地方共創に向き合っています。ここでは、40歳(正確には39歳11ヶ月)での転職、東京都から高知県への移住、そんな決断を行った思いを綴りたいと思います。

海の駅 東洋町

幼少期から備わっていた好奇心

私は大阪府豊中市で産まれました。都会か地方かと言われると、都会に分類される場所だと思います。小さい頃から目に入るものにすぐに興味を持ち、試してみる。そんな子どもでした。身長も足りないころからジェットコースターに乗りたがったり、父親が使うパソコンに興味津々だったり、時にはたばこを食べちゃうような、好奇心のかたまりの様な性格だったそうです。
学生になってからも変わらず新しいことが好きで、ネットを通じて知り合った海外の人に会いに行ったり、夜通し京都府から滋賀県まで歩くというイベントに参加したり、アメリカンフットボールというあまり日本ではメジャーではないスポーツにもチャレンジしました。
新しいものが好きで知らないことを知るのが楽しい、こんな自分の価値観は幼少期からずっと備わっていました。いい大人になった今でもその好奇心からか、流行の音楽やTikTokには敏感です(笑)

未来を創る仕事がしたい

大学を卒業後、通信事業者であるKDDIに入社しました。入社当時はスマートフォンというものはなく、折りたたみの携帯電話が主流の時代でした。この普及し始めた携帯電話が5年後、10年後にどのように進化していくのか、テクノロジーがどう進化し自分の未来が変わっていくのか、新しいもの好きの私はそこに興味があり、自分もこの未来を創る仕事がしたいという考えが入社の動機となっていました。入社直後は営業部門へ配属されましたが、営業だけでなく販売や経理、その後プロモーションやマーケティングなど総合職ならではの様々な部門で経験を積みました。
部署によって扱う商材や仕事の内容もさまざまで、なかには自分のやりたい業務でないこともあり、20代の時に何度か本気で辞めようと考えた時期もありました。しかしながら、新人の時に上司から教えられた「与えられた環境でいかに愉しむか」というマインドを持って業務に向き合うことで、広い分野での経験を積めました。この何でもやってみよう、愉しもうというマインドが20代の自分を成長に繋げてくれたと実感しています。

たくさんの経験と生じたギャップ

KDDIで学んだことは自身のビジネスパーソンとしての土台となっており、かけがえのない時間でした。本当にたくさんの分野のお仕事にも携わらせていただき、携帯電話サービスのみならず、大好きな音楽や映像などエンターテインメントのサービスや、QRコード決済のサービスなども経験することができました。そしてなによりとても人に恵まれ、一緒に仕事をしたメンバーとは喜び苦しみを分かち合えた環境でした。
一方で自身の転機となったのは、入社から15年を過ぎ管理職として業務を行うようになってからです。徐々に会社から求められる姿と、自分のなりたい姿のギャップが生じてきました。
具体的には大企業の管理職となると1つ1つの取組の規模も大きく責任のある仕事を任されます。一方で1つの決定に時間を要したり、たくさんの方の承認が必要になることもありました。その結果、必然的に私自身の目線が社内に向くことが多くなっていきました。
このような仕事の進め方について今でも間違っているとは思ってはいませんが、もっとスピーディに世の中の声を取り入れ、フレキシブルに動いていきたいという、自分のありたい姿とは異なっていました。本当に今の生き方で良いのだろうか。この仕事をこのまま続けていいのだろうか、そんなもやもやとした感情の中、転職活動を始めることになりました。

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転職活動とFoundingBaseとの出会い

転職活動の中では、私は絶対に転職をするという気持ちで取り組んだわけではなく、前職にとどまるという選択肢も持ちながら進めていました。その中で40歳に差し掛かる年齢やこれまでの経歴から、大企業に長く所属しているとベンチャー企業には馴染めないと判断されたことや、多くの部門を経験したことが逆にスペシャリストではないと判断されたこともありました。
一方でオファーをいただいたり面接に進めたりした企業は、当時の業界と近い、通信関連やフィンテック関連が多かった様に思います。前職の人間関係や給与面などに不満はなかったので、それほど変わらなさそうな業界に身を置くのであれば今の会社にとどまっていてもいいなと考えていた時に、なんとなくプライベートではキャンプや音楽フェスが好きで地方に遊びに行くこともあり、ふと地方創生といったワードで求人を検索しFoundingBaseと出会いました。
私自身、大阪と東京にしか住んだことがなく地方に強い思いはなかったのですが、FoundingBaseを知り、面談を通じて地方と関わる人とお話をする中で、地方の可能性を感じ、魅力を感じていきました。また面談で「多くの職種を経験していることがFoundingBaseでは必要になってくる」と言っていただけたことも転職へ舵を切る材料として大きかったです。
そしてなにより地方共創というFoundingBaseだけが地域のために身を粉にして頑張るのではなく、地域の人も一緒に想いをもって取り組んで地域を良くしていくという考えが、私の中でとてもフィットしました。

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地域の未来と私の未来

40歳での転職、そして東京から地方への移住。年齢やこれまでのキャリアなどから周囲からはとても驚かれ、時には止められたこともありました。でも自分の人生でやりたいことをやったほうがいい。
そして前職の恵まれた待遇から飛び出るのは人間に備わる現状維持バイアスからの脱却が必要でしたので、せっかく変化を起こすのであればダイナミックな方が面白いと考えていました。
最後の決断を下すには相当悩みましたが、思い立った瞬間が一番若く、人生100年時代というのであれば40歳はまだ2/5であり、折り返し地点にも来ていません。私の未来はこれからなのです。
そして今やらないときっとやらないと思いFoundingBaseの入社を決意しました。
転職と移住は自身の人生を大きく変化させるきっかけとなりましたが、新たな土地、新たな出会い、新たな仕事など、新しいもの好きの私にとって毎日が新鮮でとても充実した日々を送っています。

道の駅事業と今後の展望

現在は、道の駅拠点の運営を通じ1次産業支援や地域経済の活性化に取り組んでいます。
1次産業は後継者不足や従事者の所得、気候変動など多くの課題を抱えています。
一朝一夕では解決することが難しい課題ではありますが、
直売所を運営する立場において、生産者が作った農作物のこだわりを店舗でも伝わる訴求を行ったり、価値がある産品を価値ある価格で販売したりといった取組を日々行っています。
1日で結果が出るものではありませんが、日々小さな取組を地域の1次産業従事者と想いを共にし進めていくことはとてもやりがいのある仕事です。

地方を活性化させようと地方移住してまで取り組むFoundingBaseの仲間と共に仕事を進めていくことで
私たちが入り込んでいる町は確実に変化の萌しが見えています。
私たちFoundingbaseは、道の駅事業者でも、グランピング運営事業者でも
教育事業者でもなく、まちづくり事業者であるからこそ
多角的な視点でまちへ影響を与えることができると考えており、
道の駅事業から入らせていただいている地域においても
観光事業や教育事業などとクロスオーバーした形でのまちづくりが将来的にできると考えています。
私たちが関わらせていただくまちが、地域の方と想いをともにしつつ
チャレンジをしていける未来がとても楽しみでもあります。


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