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三条の知られざる技と歴史を、粋な職人の生き方と共に語る

▼陶器に見えて、実はこれステンレス

下の写真をみてみてください。釉薬によって織り成されるシックな色調の陶器のお皿。と、思いきや、実はこれ、ステンレスのお皿なんです。錆びにくいステンレスを敢えて錆びさせて、黒染め加工する。そうすることで、手触り感が出て、デザイン性も高くなる。「錆びにくい」ものを「敢えて錆させる」この一見ヘンテコな技術の背景には、江戸時代から脈々と続く歴史、地域にクラフトマンシップ、そして一人の破天荒な職人の姿がありました。

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▼舞台は新潟県の中央、三条市

新潟県の中央、五十嵐川が信濃川に流れ込むあたりに舞台となる三条市はあります。特別天然記念物であるニホンカモシカも生息する、日本の原風景を残したこの街で、素敵なお皿は作られています。
信濃川の雄大な流れは、この地域に稲作など農業面で大きな恩恵をもたらす一方で、時に氾濫し人々の生活を脅かす存在でもありました。農業に従事しながらも、川と共に暮らしてきたこの地域では、自然と造船技術が磨かれていくこととなります。
中世の日本の造船技術において欠かせない部品がありました。「和釘」と呼ばれる、日本で独自に発展した釘です。この釘を鋳造し、川と共に暮らしてきた人々は、次第に和釘製造の技術を発展させ、金物製品製造の技術へと昇華させてきました。

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▼和釘の技術は世界へ ノーベル賞の晩餐会、apple製品

今では伊勢神宮の式年遷宮の際に奉納されるほど、歴史と技術を紡ぎ続けてきた燕三条の金物技術は、その後、世界を舞台に人々に愛されるようになります。
例えば、ノーベル賞授賞式の晩餐会で使われているカトラリー。全てのものをメイドインスウェーデンで揃えようとする中、唯一賓客の口に直接触れるカトラリーだけは、燕三条で作られたものが使用されています。
あるいは、かつてのapple社製品の鏡面部分の磨き技術。これも、燕三条の人々が脈々とバトンリレーしてきた、生き方から紡がれたものです。

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▼黒染め技術

世界でも認められる金物製品製造の技術に革命を起こした技術があります。それが、黒染め技術。元々は錆びやすい鉄に、敢えて化学反応を起こし、赤錆ではなく黒錆を定着させ、鉄の欠点である錆びを克服しようという技術。この技術を利用すれば、鉄の用途を広げることが可能になります。黒染め加工技術自体は、日本で社会構造が変化し始めた明治時代から広がり始めたものですが、この黒染め技術に一工夫加えたのが、今回の主人公。

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▼「作り手でありたい」と願った元バンドマン

元々バンドに打ち込み、家業を継ぐ気はなかった渡辺竜海さん。ロックに傾倒し、高校卒業後、音楽の専門学校に通いながらバンド活動に打ち込んでいた彼を「職人」の道へと引き込んだのは父親から問われた「この先どうするんだ?」という問いでした。彼の父は「帰ってこい」と言いたかったわけではなく「どう生きたいんだ」と問いたかったのですが、その言葉を「帰ってこい」と解釈し、三条へ戻ることとなります。
家業を継いで、これまでの伝統を引き継ぎながら、下請け工場としての仕事を地道に続ける中で、渡辺さんの中には「どうせやるなら、作り手でありたい」という強い思いが芽生え始め、下請け工場ではなく、自分たちで「もの」を作り出す作り手としての道を歩み始めることになりました。

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▼そんな素敵な職人さんと直接語れる機会があります!

そんな強い覚悟のもと、生み出されたのが「96(KURO)」と名付けられた、ステンレスの黒染め技術であり、素敵な質感を備えたステンレス食器です。

さあさあ、ざっと三条の歴史、金物製品製作のストーリー、渡辺さんの半生を紹介したのですが、まだまだ語りきれない魅力があります。そんな、魅力を、渡辺さん本人と語り明かしながら、味わえる会があります!(何と!)
詳しくはEvent情報をチェックしてください!

何気ない一枚のお皿に隠れる、地域の歴史、生活、技術者たちの思い、素敵な一人の職人の生き方。
是非、新潟の美味しいご飯とお酒を飲みながら、一緒に語りましょう!

▼三条Member インタビュー


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