佐藤 亜美佳(Sato Amika)
制作部 / LX Designer
2000年生まれ。長野県出身。高校卒業後は社会福祉士を目指し、福祉大学へ進学。大学時代に認知症啓発の絵本や自主出版のZINEを制作したことから、視覚伝達デザインに興味を持つ。その後、大学のある町のシティプロモーションに携わり、フリーマガジンの制作に注力する。「伝える力」で地域の魅力を発信し、地域を盛り上げたいと思い、2023年に新卒としてFoundingBaseに入社。
小さないい子の楽しみは陸上クラブ。
私は、長野県の東信地方の田舎に長女として生まれました。祖父母にとっては初孫であり、甘やかされて育ちました。共働きの両親は常に忙しくしており、親の迷惑をかけないように、怒られないように、常にいい子でいようとしていました。小さい頃から家の中は、いかに怒られないでいるかの戦いの場でした。
そんな私ですが、小学校ではずっと憧れだった陸上クラブに入り、毎日楽しく体を動かしていました。
中学では、陸上部がなかったため、地元のクラブチームに所属して活動していました。練習で400mの記録を取るたびに、タイムが縮まっていく面白さとゴールした時の達成感がたまらず、高校生になったら400mで大きな大会に出たいと思うようになりました。
大好きな陸上から逃げ出したくなった高校時代。
高校は市内でも陸上が強い学校へ進学。他の部活を見学することもなく、即陸上部に入部し、400mをメインに練習していました。高校受験期間のブランクがようやく埋まってきたと喜んでいた時に、大きな挫折を味わいます。
ある日、自転車に乗っていつも通り帰宅している時のこと。私は歩道に乗り込んできた車に撥ねられてしまいました。幸い、大きな怪我には至らなかったものの、首を痛めてしまい、しばらくは練習に参加できなくなります。冬の厳しい練習を思うようにこなせず、周りと差が開いていくのを感じながらも、ここからまた頑張ればみんなに追いつくと自分に言い聞かせます。
しかし、それも虚しく、高校2年生の夏の大会前、再び車に撥ねられました。2回目の事故でも大きな怪我を負うことはなかったのですが、この一瞬で周りとはもう追いつかないと思ってしまい、頑張ることが嫌になってしまいました。その日から大好きだった陸上は私にとってやりたくないものになりました。でもそんなことを誰かに言ったら弱いだけだと怒られてしまう、怒られることからも避け続けてきた私は、部活に出たくないがために学校を無断で休むようになります。ある日学校に行っていないことが父親にバレて、そんなことで休むなと怒られます。これにも相当落ち込みましたが、泣く泣く学校にいくと、友達や先生方は心配しながらも必要以上に介入してくることはありませんでした。そんな優しさのおかげで徐々に回復していきました。
その後はマネージャーとしてチームに関わっていきました。正直、選手のみんなに僻んでしまうこともありました。それでも3年生の最後の県大会、4×400mリレーでチームが北信越大会への切符を掴んだ時には心の底から嬉しかったことを覚えています。
この経験から、もう一度立ちあがろうとする、誰かを支えられる人間になりたいと強く思うようになります。
広がった世界で見つけた、デザインの楽しさ
将来は多くの人の社会復帰を支えることがしたいと考え、社会福祉を学べる大学に進学します。それまで、ずっと窮屈だった実家を早く飛び出したくて、大学からは一人暮らしを始めました。
親の監視下から離れた生活は、私にとって自分の好奇心の赴くままに行動できる生活でした。大学1年生の春休みに友達に誘われて行った約1ヶ月のセブ留学では、これまでの日常が当たり前ではないことや、日本にいたら交わることのない人と関わることができ、私自身の価値観が大きく変化する出来事になりました。
留学から帰国してすぐにコロナが猛威をふるい始め、大学2年生からは自粛生活とオンライン授業がスタートしました。思うように外出できず、時間もたくさんあった中で私が夢中になっていたのは私自身の「好き」を詰め込んだZINE制作(個人が自由に作る小冊子)でした。この年は、ちょうど20歳という節目を迎える年でもあり、20歳という1年間で何か挑戦したい、その時の自分を何かカタチに残したいと思い始めました。自分の好きを詰め込んでいくと80ページにも及んでしまい、一年かけてやっと完成させることができました。制作していくうちに、頭に描いたものをデザインし、カタチにしていくプロセスや新しいものを作り出していく面白さに惹かれていきました。そして、ZINEが完成する頃には本格的にデザインや編集がしたいと思っていました。
大学での学びに対しての疑問と、シティプロモーションで感じたまちの魅力
その後、ご縁があり私は大学が位置する自治体のシティプロモーションに携わり、年に一度発行されるフリーマガジンの編集をすることになりました。フリーマガジンが出来上がるまでは、何度も役場の企画課の方やディレクターと話し合いを重ね、自分達が一から企画を練り、取材をし、編集していきました。そうして作られたものが地域の方や学生たちに届き、読んでもらうことにとても価値を感じました。また、私自身がこれまで素通りしてしまっていた地域の魅力や人の暖かさに、取材を通して気づくことができました。そんな地域の魅力がフリーマガジンを通して地域の人や学生に届き、「この町にこんな所があったんだ、もっと知りたいと思った」と感想をいただいた時に、改めてプロモーションやデザインをやっていてよかったなと思いました。そして、地域の魅力を発信することで、地域の人が自分の住む地域をもっと好きになってもらいたいと感じるようになりました。
時を同じくして、大学で学ぶ「福祉」に疑問を感じ始めていました。
大学で掲げる「ふくし」とは「ふつうのくらしのしあわせ」を意味していました。それは、この世界の多様な人が普段の生活から幸せだなと思えることだと考えます。しかし、大学で社会的な困難を抱える人の支援方法などを学んでいくと、深刻な問題になって初めて介入していく現状や縦割りの支援を知りました。もっと早くから介入できれば手遅れにならないのではないかと感じるようになります。私が福祉を学ぼうとした背景には、誰かのやりたいことや社会の中の挑戦を応援していきたい、そこにきっかけを与えられることをしていきたいという思いがあったので、それなら、地域全体を盛り上げていければ自分がやりたいことも、作りたい社会も目指せるのではないかと思い、プロモーションなどの「伝える」を通して地域を盛り上げたいと思いました。
FoundingBaseとの関わり
そうして自分の中で一つの軸ができた時には、就活が始まろうとしていました。自分のやりたいことを改めて考え、言語化したときに、プロモーションを通して町の魅力を伝えること、それが誰かの行動するきっかけになることでした。
そんなときにFoundelingBaseを見つけました。FoundingBadeが掲げる”「自由」をUpdateする”というミッションが自らの意思によって行動することが、未来を作っていくという意味だと知り、私自身が目指したい社会象と重なり、入社することを決めました。
大学4年の10月からは安平町で安平教育プランのインターンに参加しました。そこで初めて教育に深く関わりましたが、子どもたちの好奇心や挑戦意欲を引き出すために本気になれる環境はすごく刺激的で挑戦の毎日でした。
また、入社前からインターンという形でデザインの業務にも注力しました。これまでの、自分がやりたいデザインではなく、人に伝わるデザインを学び、その奥深さにさらにデザインに惹きつけられていきました。
これから
LX Designerとして全社のデザインを使ってまちづくりを行なっていきます。
ただ手を動かすだけではなく、どうして作るのかを意識し、常に地域の声や拠点メンバーとの対話を大切にしていけるデザイナーになりたいです。
そして、かたちになったものを見てくれた人が、気になるかもと思ってもらえるようなモノ・コト・トキを創り上げていきたい。そして、多様な人が生きる時代、生活の仕方も多様にあれど、一人ひとりが幸せだな、ここに住んでいて良かったなと思えるまちづくりをしていきたいと思っております。