斉藤 佑香(Saito Yuka)
教育事業部/四万十町
1998年生まれ。青森県青森市出身。上智大学外国語学部ロシア語学科に入学し、ロシア・ユーラシア地域について学ぶ。その傍ら、地元青森の学生による地域活性化団体「青森学生団体ASC」の設立・運営を通し「地域」に興味を持つ。
通訳や団体設立の経験などから「挑戦は挑戦を生む」というモットーを掲げており、挑戦の素晴らしさをこれから携わる人に伝えていきたいと思い、2022年4月から「じゆうく。」に参画。
なにも「心の底からやりたい」と思えなかった中学時代
中学時代は勉強も部活も、楽しんでやっていることは何もありませんでした。全てが義務感のもとで仕方がなくやっている感覚でした。
そんな日々を過ごしていたある時、校内で市で開催される英語のスピーチコンテストに出場する生徒を募っていました。元々英語は好きだったし、結果云々より何か打ち込めるものを欲していたので、出場するための選考に参加しました。
選考が通り、数ヶ月後に迫る大会に向けてほぼ毎日2〜3時間練習しました。学校のトイレの鏡の前で笑顔で話す練習を1時間くらいしていた時は、流石に「しんどい・・・」と思いました。それでも出場を辞めなかったのは、他のこととは違って「やってみたい!」と心の底から思っていたからでした。
大会では優勝することができました。当然嬉しかったのですが、「優勝したから嬉しい」のではなく「やってみたら結果以上に得られたものが多かった」から嬉しかった、という感覚だったのを今でも覚えています。
とにかくやってみる、を徹底した高校時代
中学のスピーチコンテストの経験からは、「やりたいことの過程にあるやりたくないこと」すら愉しめることがわかりました。挑戦することに抵抗が全くなくなった私は空手を始めたり、ロシア語のスピーチコンテストに参加したりと、なんでもやってみる人になりました。
ロシア語のスピーチコンテストでは出場者の殆どが大学生と社会人だった中、結果を残すことができました。その際に高校生で出場した姿勢が認められ、ロシアのサンクトペテルブルクに1週間派遣するプログラムに招待いただきました。結果ではなくその姿勢を評価していただいたことから、挑戦は新たな挑戦を生むのだと学びました。
地元嫌いだった私が、青森を誇るようになった理由
高校2年までは、とにかく地元を出て都会に行きたいと思っていました。若者が集う場所もオシャレなお店もなく、「劣っている」と思っていたからです。
ある日、高校の授業で国際交流をした際に「青森ってどんな場所なの?」と海外の学生に聞かれたのですが、青森に関心のなかった自分は何も答えられなかったことに恥を覚えました。
出ていくことになっても青森のことは少しでも知っておきたい、あわよくば青森を面白い場所にしたい、と思うようになり、友人と地域の協力者と共に、「青森学生団体ASC」を設立しました。お土産の開発に携わったり、ワールドカフェを開催したり、青森を知れば知るほど好きになっていきました。
FoundingBaseとの出会い
大学在学中にベラルーシへの留学を計画していたのですが、コロナ禍で渡航禁止令が出てしまい、その夢は叶わず大学生活を終えることになりました。ロシアやロシア語という世界から一旦離れて就職活動をすることにしました。5月に内定をいただいていたのですが、企業が言ってほしいことを言って内定をもらえた、という気がして、このまま終わるのに納得がいかず辞退して一からやり直すことにしました。
自分が本当にやりたいことってなんだろう、と見つめ直した結果「地方創生」というワードを軸にもう一度就活を始めることにしました。地方創生とは言っても、生半可な気持ちで関わりたくないと思っていたところで、WantedlyでFoundingBaseのイベントを見つけました。「共創」というスタンスに強く惹かれ、面接をする前から「この会社だ!」と勝手ながらに決めていました。
青森を「選ばれる場所」にしたい
今私には、かつて嫌いだった青森を「選ばれる場所にしたい」という想いがあります。
青森が好きだ、という自分を創ってきたのは、青森自体の良さだけではなく、そこで挑戦してきた思い出と、そこにいる魅力的な方々との出会いがあったからです。そんな青森ですが、半数以上の市町村が消滅可能性都市とされています。そんな青森を、選ぶ価値のあるまちにすることが私の夢です。
その過程において「地域」と「地域が活性化されるとはどういうことなのか」について学んでいく必要があると考えています。
今私は高知県の四万十町営塾「じゆうく。」のスタッフとして、教育の観点から地方共創に携わっています。今自分のいるこのまちで、まちの当事者としてどう地域を盛り上げていくのか、日々考えながら過ごしています。
「地方には可能性がない」「地方だと挑戦できない」と言われる時代を終わらせ、自分のいる地域に可能性を見出せる人で溢れかえるまちにしたい、そんな想いを体現していきたいです。