早川 大輝 / 教育事業部 マネージャー
教育事業部 マネージャー
1994年埼玉県生まれ。筑波大学の国際総合学類に入学し、教員免許(中高英語)の取得や中高生が自身のキャリアを考える学生団体の発足を経験。4年次に休学し、FoundingBaseのメンバーとして岩手県西和賀町で高校魅力化プロジェクトの立ち上げに従事。2018年に「じゆうく。」に参画し、「価値観が揺さぶられる機会の創出」をテーマに教室長として従事。現在は北海道安平町にて教育事業を推進している。
2024年4月、教育事業部マネージャーに就任。
”それなり”の大学生活
多くの人にとって、高校卒業時の進路選択は初めての大きな人生の決断だと思います。
けれど、その時に自分の将来についてとことん悩んで答えを出しにいくのは、とても難しいこと。僕は大学進学が当たり前の高校に通っていたので、そもそも大学に「行かない」という選択肢は頭にありませんでした。なぜ大学に行くのかを吟味することもなく「国立」「家から通える」「英語」という絞り方をして、部活引退後の高校3年の8月頃に大学を選んだのを覚えています。
晴れて入学することができましたが、正直大学という環境をうまく使うことはできませんでした。成り行きで始めた地元埼玉での塾講師と飲食店のアルバイトがあることによって、「少し興味がある」と思っても大学付近で行なわれるイベントや集まりに参加できない日々。アルバイトにサークルに新歓に勉強に、いろんなことを”それなり”に頑張って楽しんではいましたが、所詮”それなり”でした。
対照的に、様々なことに挑戦し、ユニークな軸を作っていく周りの友人。彼らのように面白い経験をしている人たちにいつしか羨望や嫉妬の眼差しを向けていました。
始めは、大学に入ればなんとかなると思っていた節があったように思います。でも、3年生になった時に初めて「なんとかならない」と気が付きました。
「出来る自分」をなんとか作り上げる毎日
「なんとかならない」と思った大きなきっかけは2つでした。まずは、大学主催の起業家育成講座。ゲストとして来ていた筑波大学出身の起業家の方々の、メインストリームを外れて己の道を進んでいる姿や、「まずやってみる」と失敗を恐れない姿に、失敗を恐れて行動できなかった僕は圧倒されました。加えて、講座の中で行われるワークショップで、自分のやりたいことを堂々と述べる参加者の学生たちを横目で見て「自分は何してるんだろう」と落ち込みました。もう一つはサマーインターン。活動的な優秀な学生と肩を並べて選考を受けては、残念なお知らせが届く毎日。またもや同級生に圧倒され、完全に自信を失いました。
焦りに焦った僕は、当時の「中高生にもっと大学生や大人と話す機会を」という思いを実現するために学生団体を立ち上げました。一生懸命取り組んだし、協力してくださる方もいたし、周りから「すごいね」と言われることもありましたが、これについても、ふと深堀りされると、その価値について自信を持って答えられない自分がいました。きっと、なんとか「出来る自分」を作り上げたくて虚勢を張り続けたんだと思います。そんな自分のことは、自分が一番よく知っています。居心地が悪い毎日が続きました。
教育に携わりたいと思ったきっかけ
そんな自分に落ち込み、自分には価値がないという考えが強くなっていた大学4年生の夏。周りは就職が決まる中、自分は未だに何も決まっていませんでした。そこで改めて振り返ったのは、「イイ子」として評価されてきた自分の生い立ちでした。幼稚園では運動会のリーダー、小中学校では児童会長や生徒会長などを経験してきました。でも決して特別な情熱があったわけではありません。小さなコミュニティにおける「イイ子」の評価を守るために、レッテルを剥がさないためにやっていたような気がします。
しかし、大学から社会に出るタイミングでは、情熱のないそれなりの「イイ子」に価値なんてないように思えました。むしろ、変人・奇人の方が評価を受けていたような気さえしました。それまでは間違いなく評価されてきたのに、大人になったら評価されないのはおかしい、酷だ。当時の自分はその原因を教育に求め、中高生年代の教育に目を向けました。「中高生時代にもっと多様な人々と関わることで価値観が揺さぶられる機会を作りたい」「そうやって形成していく自分の軸を大切に進路選択をしてほしい」その願いが強くなり、教育に関わりたいと思いました。
生徒と直接対峙する場所で働きたい
大学4年の9月にFoundingBaseに出会い、翌4月、上記の思いをもって高校魅力化コーディネーターとして岩手県西和賀町に着任しました。取り組んだのは、学校案内の作成や町民英語サークルの運営など。立場や力がある方々を巻き込みながら、一人では決してできないことに取り組むプロセス、そのことを通して僕のような何もない人間が少しでも思いを体現していけることに面白さを感じました。また、その過程で本当に多くの町民の方々に応援していただき、それが何よりも嬉しかったです。高校の構造や取り組みについて考える毎日は楽しく、たくさんの発見がありました。
一方で、もっとに近い存在として、思いを体現したい気持ちが高まっていきました。同時に高まったのは、理想ばかりでなく、地に足ついた教育観を持ちたいという気持ち。そこで僕は、生徒と直接対峙できる場所として、高知県四万十町の町営塾「じゆうく。」を選び、挑戦することを決めました。
自分の物差しで見てしまう自分
「じゆうく。」のスタッフとして働いてもう直ぐ2年。自分が大学生の時に経験したことをエンジンに、なんとか納得感を持った進路選択をしてほしいと、とことん話す時間を取ったり、自分の考えを伝えたり、情報を流したりと、たくさんのアプローチをしてきました。そしてその度に、正解のない生徒対応や自分の在り方について、一緒に働くメンバーにたくさんの指摘をしてもらいました。
その結果気づいたのは、自分の物差しで他人を見てしまう自分がいるという事実です。家族も土地も文化も習慣も、何もかも違うのに、自分の学生時代を参照に「良かれ」と思って対応する。自分の常識で「なんか違う」と感じたことをそのまま当て込むことがどれだけ暴力的なことかを身をもって知りました。字面では容易に理解できる、人によって「普通」が異なるという当たり前の事実を体感できているのは、今の環境を与えてもらっているおかげだと思います。
幸せを作る主語を『他』から『自』に戻す
僕は4月から「じゆうく。」歴3年目に入ります。最近のキーフレーズは、「幸せを作る主語を『他』から『自』に戻す」です。いとも簡単に「楽しい」が手に入ってしまう現代、誰か(何か)が自動的に運んでくれる幸せに慣れきってしまっている節が生徒から散見されます。だから、自分を突きつけられて苦しい進路希望の話はあまりしたがらなかったり、やりたいことのために努力が必要なのは分かっているけど頑張れる気がしないという言葉が出てきたりします。
しかし、よくよく尋ねてみれば、その裏には、必ず「したい」が眠っています。その心底にある気持ちや自分の可能性に蓋をせず、しっかり目を向けて進路選択をしてほしい、というのが僕の願いです。そのためには、「自分でゴールを設定できるようになること」「自分で『楽しみ』を生み出せるようになること」が必要です。僕は「じゆうく。」で働くことを通して、生徒がこの2つを達成するサポートを全力でやっていきたいと思っています。