林 来夏(Hayashi Konatsu)
教育事業部 / 加美町
1991年生まれ。千葉県出身。神田外語大外国語学部英米語学科卒業。
卒業後はインドネシア・ジャカルタ日本人学校に小学校専任教員として3年間勤務。その後、在バヌアツ日本国大使館の派遣員、草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員を経て、2022年7月よりFoundingBaseにジョイン。宮城県・加美町の町唯一の高校で高校魅力化コーディネーターとして働いている。
隣の芝生がいつも青い
友達のことをいつもうらやましく思っていて、自分をなかなかポジティブに捉えることができない小さい頃でした。
中学生になってますます多感になり、家庭のせいだ!親のせいだ!と思う反面、自分が至らないこともガツンとわかってきて、余計にもやもやする毎日でした。
高校受験を前に周りが塾に通う中、自分だけ行けないことがとても悔しくて、「塾友」なんかいなくてもなんとかやってやる!!って思っていました。今考えればそのエネルギー他のところに向ければよかったのにって思いますね(笑)
そんな状況を家族以外の周りの方々が察してくださっていて、小さい頃からお世話になっていた空手教室で後輩の指導をお手伝いをさせてもらったり、心がもやもやしたときには幼馴染の両親が営んでいるとんかつ家さんに美味しいご飯を食べさせてもらったりしていました。
反抗期がやんわり過ぎていったのは、周りの大人に恵まれていたからだと思います。
「やりたいこと」を楽しめるように
高校に入りアルバイトをするようになり、朝働いて学校に行って部活してまた働いて、これまでの人生で一番寝ない毎日を過ごしました。
忙しさの中で社会人との出会いやお客様との関わりを経験して、自由に使えるお金も手に入り、充実していたと思います。
一方、学校がどんどん楽しめなくなり、部活にもなんとなく行く状態で、学校に行くことに意味はあるのか、働いていた方がよっぽど自分のためになるんじゃないかと思い、卒業後はすぐに働こうと思いました。
2年生のころ、表向きは英語の勉強をしたいから、本音は部活に行きたくないからという理由で語学専門学校の高校生向け講座に申し込みをし、そこで出会った友達と海外に行く、外国の人と交流する、ダイビングなど、今までの自分になかった体験に日々刺激を受けました。
その子が行く大学は間違いなく楽しそうだ!!ということで、3年の夏に急に方向転換をします。センター試験で勝てる素地はないし、浪人する余裕は家にはないと考え、必死で推薦の受験条件だった英検の勉強をし、ギリギリで合格をもらいました。経済的には非常に大変な思いをしたと思いますが、黙って見守って支援してくれた親には本当に感謝です。
大学に入り、初めの2年はバイトして海外に行くことが何よりも楽しく高校生の時とさほど変わらない生活でした。
3年次に1年休学しオーストラリアやヨーロッパをふらふらと周る中、いろんな場面で挫折したり、外国で見たこともない景色に出会ったり友達ができたり、アップダウンはありつつ、ご縁がつながってここにいるのだからもっと自分が置かれている環境を活かさないと!勉強しないと!という欲が高まり、大学に戻ってからはそれまでとは比べられないくらい学ぶことに力を入れるようになりました。
それまでなんとなく差別とか、世界で起こっている不平等に対して小さな疑問が募り、じゃあ私には何ができるんだ?何をしたいんだ?と考えた先に、開発途上国の開発援助研究をするゼミに入りました。
クセの強いメンバーの中で過ごした2年間は毎日忙しく騒がしく、それがとても居心地が良くて、学ぶことの楽しさを初めて知った気がしました。
それまでの経験から、教育と協力のふたつの軸をライフワークにしていきたいと決めたのもこの頃でした。
これから育んでいきたいもの
20代は修行の10年と心に決め、まずは海外経験と教員経験を積むことができる日本人学校に就職しました。
インドネシア・ジャカルタは、まるで東京の中心にいるかのような煌びやかな生活がある一方、道を一本挟むだけでいわゆる「スラム」がある光景にとても衝撃を受けました。
3年間の教員生活は、全国各地から想いの強い先生方に囲まれ揉まれ充実していましたが、このまま先生を続けていくには経験値が足りないんじゃないか、もっと自分にしかできない先生になりたいと考えて、バヌアツ大使館の在外公館派遣員になります。
バヌアツ共和国は国民30万人と小さな小さな南の島で、在留邦人も数十人レベルです。「アイランドタイム」の中で過ごす方々との業務は、時間厳守の中で育った日本人にはとてもハードルが高く、いかにそれを見越し信頼しあえる人間関係を築くか、3年半毎日が研究でした。
最後の1年は少額資金援助を担当させていただき、日本が支援してきたたくさんの学校を周りました。
バヌアツっ子はとてもシャイですが、先生がいないところでは裸足で駆け回りマンゴーをとってかじる、生きる力の強さを感じました。山奥ではまだまだ学校の整備が行き届いてなく、寝泊まりをしながら通学する子どもたちがたくさんいます。学校教育というものに関心が強まる中、いくつもの村が協力し合い子どもたちをサポートしていました。
インドネシアとバヌアツで共通していたのは「コミュニティで子どもを育てる」こと。この温かい空気感を日本でも・・・とぼんやりと考えていた時にFoundingBaseに出会いました。
人と人との距離が広がっている今だからこそ、みんなで人を育んでいくことが必要ではないか。「地域」と呼ばれる場所からその円を広げていきたい。大きいことを言っているなぁと思いつつ、それを実現する会社にいて、想いを思いっきり体現できる環境にとてもワクワクしています!
この加美町の温かな地域の方々と、中新田高校のみんなを全力で支えます!!