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西島 宏明(Nishijima Hiroaki)

教育事業部 / むかわ町
1998年3月生まれ。北海道出身。
一浪を経て北海道大学に入学、経済学部に進学しゲーム理論・組織論・経営学を中心に勉強。
卒業後は、建築系の会社にて営業職として2年強従事。退職後、1年ほど知人の紹介で山形県で農業や古民家再生の事業立ち上げに関わる。教育に携わらずして人生を終えられないと決心し、2024年8月より株式会社FoundingBaseにジョイン。むかわ町に着任し、拠点立ち上げに従事。


殻に閉じこもる青少年期と浪人期

いきなりですけど、僕は小6・中3といじめられていました。いきなりすぎますね。小6でいじめられたから地元を離れられる中学受験したのにいった先でもいじめられる。あぁ、なんて数奇な運命なんでしょう。そんなこともあり、元々引っ込み思案な性格に拍車がかかり、どんどん内向的になっていった小中高時代を過ごしました。友達はいたのですが、かなり内弁慶というか、内輪では笑いをとるのは好きですがみんなの注目を集めて何か派手なことをやるタイプではありませんでした。当時の自分を表すとするなら、ニコニコ動画や2ちゃんねるなどインターネットに居場所を求める電子の海を彷徨う藻屑、といったところですかね…インターネットにどっぷり浸かっていたため、もちろん勉強するわけない高校生活、高3になっても「追い込み?何それ美味しいの?」のような生活をしていたのでもちろん第一志望だった北大に落ちました。ただ、最も古い記憶で小一の頃から北大生になりたいと思っていた僕は、ここで受かった大学になんとなく入学したら一生後悔すると思い、両親に土下座して浪人させてもらいました。人生初の決意・決断でした。全国の受験生、そして自分の弱さと戦う1年間は本当に辛いものでしたが、おかげさまで忍耐力や粘り強さは磨くことができたのではなかろうかと思います。合格発表を見に行って番号があった時も、やったー!よりやっと終わった、、、という感覚が強かったのですが、何はともあれどうしても達成したいもののために決断するという経験ができたことは今の自分にとって大きな財産になっています。

サークルとの出会い

何を大学では頑張ろうかな〜と思いながら歩いているところで、ヨサコイのサークルに新歓を受け、踊る以外に全国遠征したりヒッチハイクしたり面白そうなことしているなーということで超絶陰キャがヨサコイを始めることになりました。
ヨサコイサークルにも関わらず、知らない人たちの前で一発ギャグをしたり地域の祭りで企画作りをさせていただいたり踊る以外のたくさんの機会に恵まれ、また、組織運営に携わる機会もいただき、なかなか不真面目ながらも何事にも代え難い経験ができたなと思います。サークル活動に学生生活のほとんどの時間を費やしていたものの、組織の運営に必要そうな組織論や経営戦略の授業は真剣に受講し、日々実践してみることの積み重ねはとても充実感がありました。ミッションのあるサークルとしてヨサコイ含めて様々な手段を駆使してミッションを達成するべく活動を考えていたのですが、その目的や手段が果たして適切なのか、本当にそれで達成できるのかなど仲間たちと毎晩のように朝まで議論したのは、当時としては大変だったように思いますが、今では酒の肴になる良い思い出です。中高時代に経験できなかった青春みたいな感じですかね。
おかげさまで内向的すぎた性格も自分を表現することの素晴らしさを覚えたことから、高校時代の友人には明るい陰キャになったねと言われるようになりました。
男は赤フンドシ一丁で踊るサークルだったこともあり、身も心も裸一貫で勝負できる人間になれたように思います。

会社員として働く、働くってなんだろう

不真面目な学生だったものの、奇跡的にストレートで卒業することができ、コロナ禍での就職活動で安定した経営基盤を持っていること・サークル時代の経験から人と話すことが好きになっていたことから、企業を決め営業職として入社、東京で働くことになりました。ミッションのあるサークルとして、そのミッションを達成するためにヨサコイ以外のこともたくさんしていたサークルに所属していたのですが、会社員になると数字を追う、目の前の業務を捌く、そんなことにばかり目が向くようになり、自分がここで働いている意味ってなんだったのかなー、やっている仕事は社会に貢献できてるのかなーと思う日々でした。そこそこの成績とそこそこの私生活を送っていましたが、10年後自分がこうなっているのかと上司の姿から会社員としての未来が見えてしまった瞬間に、前々から知人に紹介いただいいていた山形県での仕事をやらせてほしいとお願いし、すぐに退職したい旨を上司に告げ、引越ししました。農業をしてみたり、山遊びしている方のところで自作の五右衛門風呂に入らせてもらったり、ただ日々の生活費のために働くという価値観から抜け出すきっかけになりました。自分で事業を営んでいる方々の、「もっと作っているものを良くしたい」や「もっとこの地域を良くしたい」という考えを聞くなかで、本当に自分がやりたかったことってなんだろうと思い始めるようになりました。

原点、やりたかったことってなんだろう

上記のような理由で仕事を辞めて、山形県で過ごしている中で自分の人生でやりたかった仕事ってなんだったろうと振り返った時、教育という言葉が出てきました。サラッと書いてましたが、僕には浪人生として過ごしている時にお世話になった恩師がいます。自分の人生に向き合うということ、自分で道を切り拓くということを大学受験を通して教えてくださった方です。大学受験という経験をきっかけに、自分がやってもらったように子どもたちに道を切り拓く経験をしてほしいという思いから、教育業に従事したいと大学合格後からぼんやり考えるようになっていました。
 改めて自分の人生をこの先で考えた時にここで挑戦しなければ一生後悔すると思い、自分の原点としてやりたかったことで社会に貢献しよう、そして会社のビジョン・ミッションを叶えるために尽力できる環境で働きたいというところで、改めて就職活動をしている中でFoundingBaseと出会いました。内向的で自分のやりたいということを出せなかった人生の時間が無駄だったとは思いませんが、自分のやってみたい・挑戦したい気持ちから自分の人生を切り拓いていけるような経験を子どもたちにしてほしい、そんな教育を実現したいという気持ちからFoundingBaseへの入社をさせていただく運びとなりました。

 これからは、むかわ町という拠点の立ち上げメンバーとして、まちとして目指すべき本質的なまちづくり・教育を追求し、まちと子どもたちの両面に向き合っていきたいと思います!

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