高知県の最東端、徳島県と隣接する海沿いのまち、東洋町。国内外からサーファーが集まる生見サーフィンビーチを有し、ポンカンの生産量は高知県内一位を誇る自然豊かなまちです。人口は約2,000人と、多くの地方自治体と同様に人口減少の渦中にあります。
2023年に東洋町長に就任した長﨑正仁町長が掲げた公約は、「東洋町を賑わいのある町に」。
家業を継ぐためにこのまちへ来て、役場職員、副町長を経て町長になった長﨑町長。このまちで生まれ育っていない「外からの視点」があったからこそ、当たり前の日常にある圧倒的価値と、課題に気づくことができたと語ります。
「人口は減っていく。それでも賑わいはつくれる」。そう語る長﨑町長に、これまでの歩みと民間パートナーとともに描く「共創の未来」を伺いました。
「お寺を継ぐため」に来た町で、自らの意志で踏み出した一歩
―長﨑町長は平成7年に東洋町役場に入庁されました。東洋町で働くことになった背景をお聞かせください。
長﨑町長:いまは「移住者」という言葉が定着していますが、私が東洋町に来た当初の目的は、家業のお寺を継ぐことでした。
東洋町は父の出身地で、当時は祖父が住職をしていました。ですから、まったく縁がない土地に来たわけではありませんでした。ただ、両親が県の教員で県内を転々としており、高知市内や安芸市で育ち、大学は東京で過ごしたので、このまちで暮らした経験はなかったんです。
入庁してからは家業を手伝いながら、いずれは地域の方や檀家さんに寄り添える住職になろう。そう思っていました。役場では一般の方よりも多くの情報に触れ、東洋町を深く知ることができた。役場で働いて本当に良かったと思っています。
―幼い頃から、お寺を継ぐという道が決まっていたのですね。
長﨑町長:そうなんです。大学も、祖父や父と同じ大学へ進んで、僧侶の資格を取りました。簡単に言えば、親の敷いたレールを歩んできたんですね。
それを変えるきっかけが、前町長から副町長に指名されたことでした。副町長を引き受けるということは、役場職員を退職して特別職になり、その先には自分が町長を目指す立場になるということです。それまで親の背中を追って生きてきた自分が、初めて「ここは自分で決めよう」と、親にも相談せずに引き受けました。
──その後、副町長を経て2023年に町長に就任されています。すぐに町長という立場には馴染めたのでしょうか。
長﨑町長:いえ。正直、最初の1年間は「なぜ自分はこんな重責に就いてしまったんだろう」と自問自答を繰り返していました。本来の目的はお寺の住職になることでしたからね。この町長室もなんだか落ち着かなくて。自分の居場所だと思えるようになって、議会対応も落ち着いてできるようになったのは、ここ1年ほどのことですね。
満員電車から「海まで3分」へ。外から来たから気づけた「まちの価値と課題」

―このまちで暮らした経験がなかったことは、町長の仕事にどのような影響を与えたのでしょうか。
長﨑町長:ここで暮らしたことがなかったからこそ、客観的に東洋町を見ることができました。このまちで生まれ育った人にとっては当たり前の景色でも、私にとっては新鮮で、ものすごい価値が眠っていると気づけたんです。
私自身、東京の大学を卒業した後、1年間だけ都内の民間企業で働いていました。毎日、満員電車に40分間揺られて通勤する生活です。東洋町へ来た当初は、正直「友達もいないし、何もないまちに来てしまった」と泣きそうになったのを覚えています。
ところが、入庁した年の冬に、大学の友人に誘われてサーフィンを始めたら、生活がガラリと変わったんです。役場の目の前が有名な生見海岸ですから、家から3分で海に着く。仕事終わりに2時間サーフィンをして帰る。都内の満員電車のストレスと比べたら、「このまちって、ものすごいいい場所じゃないか」と実感したんです。何もないと思っていた場所が、実は、都会では手に入らないものを持っていた。それに気づけたのは、私が外から来た人間だったからだと思います。
―その実感が、教育などの施策に反映されているのですね。
長﨑町長:「仕事前後にサーフィンができる日常」は、東洋町にしかない特徴です。でも、地元の人は「サーフィンは観光客がやるもの」だと思い込んでいた。そこで教育委員会や地域の方々と話し合って、保育園・小学校・中学校の授業にサーフィンを取り入れました。保育園では体幹を鍛えるために陸やプールで練習して、小中学校では実際に海へ出ます。
子供たちは大喜びで、中学校の卒業式では答辞の挨拶に「名物のサーフィン授業」という言葉が出るほどです。田舎だからといって、すべての子供が自然体験をしているわけではありません。共通の「田舎遊び」を体験させることは、未来への投資だと思っています。これも、ここ東洋町で子育てをしたから気づけたことでした。
―教育の場では、他にどのような取り組みをされていますか。
長﨑町長:少人数のコミュニティですから、多様性に触れる機会や知識が少なくなりがちという課題はあります。それをカバーするために、ICTを活用して、姉妹提携している大阪府守口市の子どもたちとオンラインで交流する授業を行っています。多様性を身につけて、自己主張ができる大人になってほしいと考えています。
また、子どもたちの未来への投資として、「放課後塾うみいろ」を立ち上げました。これはまさに私がやりたかった取り組みです。詰め込み型の学習塾なら、都会にいくらでもあります。この放課後塾は、子どもたちが様々な体験をしながら多様性を活かせる場所になっています。先生方が児童生徒や住民の心を上手につかんで素晴らしい連携ができており、間違いなくこのまちの新しい魅力に繋がっていると思います。
子どもの頃にこうした暮らしを体験しておけば、進学などで一度まちを離れても、「自分が体験したことを、自分の子どもにもさせたいから東洋町に帰ろう」と思ってくれる人が、一人でも出てくるはず。そう信じています。
まちづくりをドライブさせる「2つの賑わい」
―公約に「東洋町を賑わいのある町に」を掲げられています。人口減少が加速する中で、具体的にどのような戦略で賑わいを持続させていくのでしょうか。
長﨑町長:私は町長になってから、人口減少について徹底的に勉強しました。厳しい現実ですが、自治体の支援策だけで人口減少に歯止めをかけるのは難しく、国全体が動かなければ根本的な解決はできません。
だからこそ、大事なのは「人口が減っていく中でも、いまの地域活動をどう維持していくか」だと考えています。移住促進や子育て支援といった「新たな取り組み」と、今暮らしている住民の要望に応えていく「身近な賑わい」。この2本柱で進める必要があると考えています。
─特に「身近な賑わい」については、住民の方々に変化は表れていますか。
地域の婦人会が立ち上がって子ども食堂を始めたり、住民が主体となってコスモス畑を作ったり。最近では、地域の祭りを維持するために若者たちが実行委員会を立ち上げたりと、住民が人口減少を「自分ごと」として捉えて動いてくれています。
衰退が心配される地域には専任の職員を置いて、高齢者だからと諦めるのではなく、「高齢者だからできること、若い人だからできること」を掛け合わせています。東洋町が目指す賑わいは、人口が増えることだけではありません。人が減っても、住民が動いていて、活動が続いている。それ自体が賑わいだと思うんです。人口増に直接つながらなくても、活動が維持できる仕組みを支援していきたいと思っています。
―住民の皆さんが主体的に動き出すことで、まちのあちこちで変化が起きているのですね。一方で、地域だけのマンパワーでは限界がくる部分については、どう乗り越えていきますか。
長﨑町長:ここは、アプローチの切り替えが必要だなと思っています。今までは「東洋町は海も山もあっていいところですよ」と良い面ばかりをPRしてきました。でも、それだけではもうダメで、これからは「恥ずかしながら、まちにこんな課題があって、人手が足りない。だから助けてほしい」と、地域課題をオープンに開示する。課題を「関わりしろ」として提示して、それを解決したいと思ってくれる外部の方を呼び込む施策へシフトしていきたいと考えています。
そのためにも期待しているのが、総務省が導入に向けて動いている「ふるさと住民登録制度」です。この制度を活用すべく、総務省にも話を伺おうと考えています。
─具体的に、どのような連携を思い描いていますか。
東洋町では毎年、サーフィンの全国大会を開催しています。主催の日本サーフィン連盟には、全国に70支部、約9,600人の会員がいます。その連盟から「東洋町の地域課題を手伝いたい」という提案をいただいているんです。祭り一つを維持するにもマンパワーが足りない今の東洋町だからこそ、こうした東洋町を愛してくれる外部の方々と、ふるさと住民登録を通じて繋がり、地域の課題を助けてもらう仕組みをつくりたいですね。
地域の中は住民が盛り上げて、足りない力は外部の方に補ってもらう。このオープンな関係性が、これからの賑わいを作っていくと考えています。
一次産業を次世代へつなぐ。「作れば売れる」ポンカン加工品ビジネスの構想

―産業の面では、どのような課題と展望をお持ちですか。
長﨑町長:東洋町は一次産品が非常に素晴らしいのですが、加工品が少ないのが弱みです。いかに加工品を増やして、販路を確保していくか。ふるさと納税は制度が変われば一気に状況が変わってしまうので、「加工品」で勝負しなければならない時期にきています。
いま「甲浦集落活動センターなぎ」で芋の加工品を手掛けていて、東京や大阪にある高知県のアンテナショップでも扱ってもらえるようになりました。この経験をもとに、次はポンカンです。「甲浦といえばポンカン」という強いイメージがあって、生産量は県内一位。ただ、生果のままでは収益が低く、このままでは生産者がどんどん離れて事業承継も途絶えてしまう。
だからこそ、年間を通じて「作れば売れる」ポンカンの加工品ができれば、農家も安心して事業を受け継げますし、就農の意欲も湧くはずです。良い加工品があれば、かえって生の果実も食べたくなって、生果の売り上げにも繋がる。この循環をつくりたいと思っています。
「失敗してもいい」。職員とともに挑戦する組織へ
―様々な未来への布石を打たれている長﨑町長。町長が目指す「これからの東洋町」の姿と、それを率いるリーダーとしてのスタンスを教えてください。
長﨑町長:関係人口や交流人口が地域のマンパワーを補う仕組みができれば、人口が減っても、このまちはまだまだ賑わっていけます。あわせて、近隣の徳島県海陽町など、生活圏域が重なる周辺自治体との広域連携も強化し、子どもから高齢者までが安心して暮らせるようにしたい。買い物や病院への移動に不安がある高齢者のために、地域交通会議を儲けて、交通インフラづくりも進めています。
リーダーとしてのスタンスですが、私は役場職員の出身ですから、就任当初は自分で全てを考えて突っ走ろうとしていました。でも、町長一人でできることなんてたかが知れています。私の思いを職員にうまく伝えて、共感してもらえなければ、組織は動きません。いかに職員とコミュニケーションを取って、共感から実行へつなげるか。そこが一番重要だと思っています。
私は職員に、「失敗は仕方ないが、その失敗を次へどう活かすか」と失敗を怒ったりはしません。なぜ失敗したかを分析して次に活かせば、それは失敗ではなく経験になりますから。最近では、健康増進の取り組みなどで、若手職員が自発的にグループを作って提案してくれるようになってきました。こうした意見を受け入れられる雰囲気づくりや、壁のないコミュニケーションを、役場のなかでは一番大切にしています。
町内の課題は副町長以下の職員が主役となって施策を打ち、町内だけでは解決できない広域的な課題や、知事・議員への要望は私が担う。この役割分担ができてこそ、まちづくりが前に進むと思っています。
最初は「家業のお寺を継ぐため」という思いで、この東洋町に来ました。ですが、今では檀家さんとの繋がりを通じて地域の人をよく知っているということが、私の最大の強みになっています。地域の方の協力と、私の思いに共感して自ら動いてくれる職員と力を合わせ、この東洋町の良さを次の世代へ引き継いでいきます。
※この記事は2026年08月時点の情報です。
会社紹介や事業内容をご覧いただけます。
貴庁の課題にあわせた事業戦略を提案します。
コメントを投稿するにはログインしてください。