渡邉 夏鈴(Watanabe Karin)
スペース&ツアー事業部 /国見町
2001年8月生まれ。東京都葛飾区出身。大学ではツアープランニングゼミに所属し、観光学の学びや集落の復興などの活動に取り組んだ。また在学中は、主に野外音楽フェスで環境対策ボランティアを行うNPO団体に所属しリーダーを務めた。
2024年4月に新卒としてFounding Baseにジョイン。国見町の事業に携わる。
多様なリーダーのあり方
中高一貫の女子校に通い、友達や先生にも恵まれ毎日楽しい日々を送っていました。学校行事や部活なども全力で参加し、学校が大好きでした。
部活動は中学1年生から高校2年生までダンス部に所属し、そこで部長を務めました。全体をまとめる役職に対して、最初は戸惑いがありましたが、同学年のみんなや後輩と協力しながら、自分らしい部長を成し遂げることができました。
学校とは別で墨田区のトリフォニーホールジュニアオーケストラに中学3年生から高校2年生まで所属していました。
5歳からヴァイオリンを習い10年以上続けています。1人で弾くことよりオーケストラでみんなで演奏することの方が好きでした。オーケストラには小学5年生の時にもオーディションを受けましたが不合格。そこからオーケストラに入ることは諦めていましたが、中学3年生のタイミングで"もう一度挑戦したい"と思い、オーディションに臨み無事合格することができました。最後の1年間リーダーを務めました。オーケストラには小学5年生から高校3年生までの幅広い年代が所属しているため、部活の部長とは別の難しいところがありました。
様々な場において自分らしくチームをまとめる役割を担いました。メンバーとコミュニケーションを取り信頼しあって進めていくことができました。
様々なことに挑戦ができた大学生活
大学1年生のタイミングでコロナが流行して思うように行かなかったスタートではありましたが、時間が出来たことから気になっていたことに挑戦することができました。
1つ目はボランティア活動です。
高校3年生の夏に単発でビーチでごみ箱の後ろに立って分別をナビゲートするボランティアに参加しました。ごみ箱=汚いとかマイナスなイメージを持っていましたが、大学生のお兄さんお姉さんと一緒にビーチで遊んだり環境問題についてフラットに話したりして楽しくボランティアができました。そこから大学生になったタイミングでボランティアに入りたいと思い大学4年間、NPO iPledgeに所属をしていました。2つのチームに所属をし、各々で1年ずつリーダーを務めました。
1つ目のチームが、フジロックフェスティバルやサマーソニックといった野外音楽フェスでの環境対策ボランティア。日本一の音楽フェスフジロックでは、単発のボランティア120人程度のケアやごみ箱20ヶ所の管理をするため、1番過酷で忙しかったです。
"事前8割、当日2割"を意識し本番日の約2ヶ月前から準備を開始し毎日のようにミーティングをして読み込みをしました。大変だけどそれ以上にやり甲斐もあり、フジロックには今後もボランティアとして参加したいと思っています。
2つ目のチームが、選挙の投票に行こうと呼びかけたり、ライフスタイルから環境に優しい選択をしようと発信したりするボランティア。
ワカモノの投票率が年々減少している現代社会において、自分たちの未来のために社会のために投票に行こうと明るくポジティブなメッセージが書いてあるボードを持って渋谷区を練り歩く活動を行いました。SNSでも発信をし自分の周りからも投票に関心を持つ人が増え、活動をした渋谷区のワカモノ投票率も上がり、楽しく社会活動をすることができました。
ボランティアでの経験を踏まえて、0から土台を作りチームとして進めていくことや自分から方向性を決めていくことにとてもやりがいを感じました。
2つ目は旅行です。有名な観光都市より、あまりみんなが行かなそうなところに行くことが好きです。鳥取や高知、徳島など地方都市を巡ると、地域住民の優しさや自然の豊かさなどに圧倒され、もっと多くの人に地方の魅力を伝えたい!自分も実際に地方に住みたい!と強く望むようになりました。
コロナが落ち着いてからは、海外にも行くようになりマレーシアやバリ島を始めとした東南アジアやスペインなど、各都市を訪れました。そこでも、自分からもっと日本の魅力を話せる人になりたい!と思うきっかけになりました。
経験を経て、自分のやりたいこと
大学生活で挑戦をしたり、大学のゼミ活動小さな集落の復興をする活動をしたりと、自分自身が第一次産業に興味を持ったりしたことから、"地域創生"や"地方で働く"を軸に仕事にしたいと思うようになりました。
観光の勉強を大学でしていたこともあり、大学で仲良くなった友人に紹介されて出会ったのがFoundingBase。
興味を持ち調べてみると、地域共創をベースにしていたり、missionや visionなどが自分に合っている、こういう働き方がしたい、またこういう自分でありたい。と強く望むようになりました。
私は東京育ちで、これからの拠点の国見町とは全く異なる環境。今後はそれを強みに、都会と地方との違いに気づくことができ、また客観的に国見町の魅力を捉えていきたいです。そして、私なりに感じた国見町の魅力を新しい形で、より多くの人に発信し、国見町を知る人、訪れる人を増やす、日本、世界に発信していく手助けがしたいと考えています。