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上鶴 崇修(Kamizuru Takanobu)

観光事業部/ 朝倉市
2000年8月生まれ。鹿児島県肝属郡錦江町出身。大阪体育大学体育学部健康スポーツマネジメント学科に入学。在学中は、淡路島や大阪府内の小・中学校の自然学校のリーダーを初め、登山やキャンプなどのアウトドアを専攻する。いつか地元の田舎へ恩返ししたいと考え似たような地域を盛り上げていることに感銘を受け2023年4月にFoundingBaseにジョインし福岡県朝倉市の立ち上げ、運営に携わっている。


常にひっつき虫な幼少期

私は、鹿児島県の大隅半島の端、本土最南端の地域に生まれました。鹿児島県内でも1、2を争う田舎町であったため同級生や友達はとても少なく常に3つ年上の姉と過ごしていました。何をするにも姉についていきたいという性格であったため姉がしていることは自分もするんだと自分に言い聞かせていた気がします。
そんな私の幼少期の思い出となっていることの1つに幼稚園の遠足があります。
私の通っていた幼稚園では、遠足の際年長さんは歩きで、年中さんより下はバスで山の上にある運動公園までいくことになっていました。姉は年長、私は年少だったので普通なら私はバスで行くことになるはずだったのですが、出発直前に姉と別々になると知り大泣きして結局姉と一緒に歩いて登るという形になりました。
この頃からひっつき虫だったのかなと思います。

ひっつき虫から負けず嫌いになった小・中学期

そんなひっつき虫だった私も小学生になると姉に対抗心を持つようになりました。きっかけは父が教えていた剣道場に姉が入ったことでした。
最初のうちは父と姉が練習に行くのについていきボールで遊ぶという毎日でしたが、姉が大会に出るようになり、父に褒められているのをみて嫉妬心というのか私も褒められたいと思うようになりました。
しかし、どうしても剣道を身近で見ていたため、臭いだの暑いだのネガティブな部分をより強く感じてしまい道着に手を通す事ができませんでした。
そんな私が剣道をするようになったのはとても単純な事でした。姉の練習試合について行った際に「低学年が1人足りない」「誰かいないか」となり、それを見計らったかのように父が車から私用の防具を持ってきたのです。
「なんで俺用の防具があるの!?」と驚くのも束の間半強制的に防具をつけられルールも分からないまま試合に。

小学6年生全国大会決勝

もちろんボコボコにされました。その時からでしょうか、私が負けず嫌いになったのは。常にひっついていた姉に対して対抗心が芽生え、何事においても姉よりも上に行きたい!と思うようになり姉が習っていた「公文式」や「硬筆」なども始めるようになり姉への対抗心はますます大きくなったと思います。
その甲斐もあり、剣道では県代表に選ばれるようになり全国で2位になる事ができました。しかし、大小どの大会においても結果は2位止まり。
優勝することができず「シルバーコレクター」というなんとも中途半端なあだ名がつくようになりました。そんな小・中学生だったため意地でも優勝したいと思い、高校を選びました。

恩師に出会った高校時代

全国制覇を目指して高校は鹿児島市内にある男子校へ。
同期は小学生の頃から県内で優勝を争っていたメンバーが、さらには大阪と愛知からも集まり、寮生活が始まりました。今まではライバルだった相手が同じチームで戦えることはとても心強く、さらに自分自身が強くなっていくことが実感できる環境でした。そのような環境を作ってくださった監督は一生の恩師です。
その恩師の元、県では敵なしというほどまでチームは成長し、全国でも上位で争えるようになりました。しかし、全国の壁はとても分厚いものでした。全国4大大会のほとんどでベスト4手前で負けてしまい、悔し涙を幾度も流したのを今も鮮明に覚えています。
恩師への憧れや尊敬もあり福岡の教育系大学を目指すようになりました。しかし、高校時代の9割が剣道だった私は当たり前?のように不合格。もう専門学校にいくしかないかと思っていた矢先、恩師から大阪の体育大学を勧められました。体育大学なら剣道ばかりしていた自分でもいけるかも!という気持ちで受験しなんとか合格。良くも悪くもこの選択が自分にとってとても大きなきっかけになりました。

高校3年生の県総体(左)

夢が変わった大学時代

体育教師になりたい!という気持ちで入学した体育大学。部活動も剣道部に入部し今までとほぼ変わらない剣道づけの毎日でした。最初は体育教師になるのが夢で授業に部活に取り組んではいたのですが、大学での先輩方の就職先などを聞いているうちに警察や消防といった部活動を活かした職業に就きたいと思うようになりました。しかし、そのような職業に就くために必要なのはなんといっても実績でした。
実績を残して希望する職に就こうと思っていたタイミングで新型コロナウイルスが流行ってしまうことになりました。その結果、大会はなくなり実績云々の話ではなくなりました。
この時、「剣道を続けていて何か新しいことに出会えるのか?」「せっかくの体育大学生活このままでいいのだろうか?」という疑問を持つようになりました。
私の通っていた大学では3回生からゼミに所属しなけれなばなりません。それを機に、私は10年以上一筋でしてきた剣道に終止符を打つことになりました。

ゼミ選択では、スポーツインストラクターなどの実際にスポーツをする立場の視点について学ぶゼミ、スポーツマネジメントなどのプロスポーツチームやスポーツ業界を支える視点について学ぶゼミなど様々なスポーツ関連のゼミがある中で私が選択したのは「アウトドア」を専攻するゼミでした。
小さい頃から山を登ったり、キャンプをしたり、スキーをしたりとアウトドアに触れてきたからこそ直感でこのゼミを選んだのだと思います。
3泊4日で滋賀県と三重県を跨ぐセブンマウンテンの縦走を登竜門として、シャワークライミングやロッククライミング、キャンプなどアウトドアをとことん学びながら、淡路島や大阪府内の小・中学校の自然学校のリーダー、大学のキャンプ実習の補助員、外部でのスキーの補助員など様々な環境下でアウトドアに携わってきました。

ゼミでの登竜門キャンプ(AM2時)

その中でも特に印象に残っているのは、3泊4日で淡路島の小学校の自然学校のリーダーをさせていただいた時に、特別支援の子の班を持たせていただいたときのことです。その子(特支の子)は自然学校に来るまで火を起こした事がなかったり、テントで泊まったことがなかったと話をしてくれました。最初のうちは、慣れない環境や、火をつけたりしたことのある子たちに対して劣等感を覚え「もうキャンプなんてしたくない!」と泣きついてくることが多々ありました。しかし、一緒に火をつける練習をしたり、班の子たちと協力してテントを立てたりすることで徐々に笑顔が見られるようになってきました。また、その子から「キャンプって楽しいね!」「キャンプって他にどんなことするの?」といった会話を持ちかけてくれるようになりました。そして最後のプログラムが終わりお別れの時に、「またいつかキャンプしてたら会える?」「リーダーのおかげでキャンプ好きになったよ!」と言ってもらうことができ、その時に『俺の大好きなアウトドアを絡めた職に就きたい!』と思うようになりました。そしてその思いを確かな夢へと変えた出来事がありました。

淡路島の自然学校で班の子たちが作ってくれたジンベイザメ
(LINEのアイコンになってます)

それは、部活動も辞め時間ができた長期休みのことでした。私は地元へ帰りランニングをしていた時に近所の海岸に昔からあるキャンプ場を通りました。地元は大隅半島の端、電車も無ければバスも滅多に通らない場所にあるためなかなか観光客が来ない現状にありました。しかし、その時はなんとキャンプ場がテントでいっぱいになっていたのです。コロナ禍に入りアウトドアブームがきたこともあると思いますが地元に生まれて初めてあんなに多くの観光客がいるのを目にして地域が生き返った気がしました。海、山、川などの自然、黒豚、黒牛、黒鳥、お茶といった特産物、あまりに余った土地、世界に誇れるものが多くあるのに遊休地をそのままにしておくのは勿体無い!と思い「いつか地元を、寂れていく町を自分の手で、アウトドアで生き返らせたい!恩返ししたい!」という私の『夢』が固まりました。

地元のキャンプ場から見える開聞岳

FoundingBaseとの出会い

大阪府内でインターンでパラグライダーやSUPなどのサービスを提供している会社でお話ししていた時に、社長さんから大分でこんなことしている会社あるみたいだぞと聞いてすぐ調べたのがきっかけです。
その中で、私の地元と似たような環境、地域、遊休地を地域の人と一緒になり手を取り合いながら盛り上げている!ただそれだけの情報で “ここしかない” と思いました。
そこからはスピード勝負のようにFoundingBaseへエントリーしていました。ここだけの話、直感での行動であったためノリと勢いのみで面談に臨んでいました。
大変?とか忙しい?とかそんなこと全く考えてすらいませんでした(今考えてみると恐ろしいことしてた気がします)。ただただ、楽しそう!やりがいがありそう!
俺の夢を叶えるきっかけになりそう!このような考えのみでした。

これから

これからの展望としてまずは全くといっても足りていない知識を上司の方々、同期からとことん盗みたいと思っています。そしていつかは私の夢『いつか地元へ恩返しを』を叶えるためにも、信頼と実績を掴み取り、鹿児島に拠点を作りそこを任せてもらえるように成長して行きたいと思っています。
そのためにもまずは新拠点、福岡県朝倉市「杷木松末アウトドアビレッジ」を全力で盛り上げていきたいと思います。


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