菅原 恵太(Sugahara Keita)
教育事業部 / 美祢市
1991年生まれ。奈良県天理市出身。奈良教育大学教職大学院修了。
学生時代は子どもの頃からの夢だった小学校教員になるために学業に励む傍ら、毎年夏休みと冬休みは長野県でキャンプボランティアのスタッフとして活動。また手話部に所属し福祉と教育の関係について学んだ。卒業後は奈良県下の小学校で8年間勤務。高学年や特別支援学級の担任、生徒指導部等を中心に担当した。
その後、もっと子どものやりたいことの支援がしたいと教師を退職。
2024年8月にFoundingBaseにジョイン。山口県美祢市で公設塾minetoのスタッフとして活動中。
厳しい親への反発と将来の夢
自分の幼少期を振り返ると友達と外で遊んだり、テレビゲームを楽しんだりするどこにでもいる子どもの一人だったように思います。ただ勉強に対して厳しい親とはそりが合わず、自分が大きくなるにつれて対立することが増えていきました。そんな中で小学校、中学校、高校の先生方には本当にお世話になりました。自分の気持ちをあの時の先生方が認めてくれたからこそ、今の自分があると思っています。そんな経験から将来の夢として「学校の先生」を自然と考えるようになっていました。
自分を変えようと決めた学生時代
高校から教育コースに進学し、比較的早い段階から「教育」と「学校」をキーワードに本を読んだり、大学の先生から話を聞いたり、実際に小学校にボランティアに行ったりする中で自分には「話す力」と「経験」が全く足りていないのではないかと考えるようになりました。
「経験」と「話す力」を培うために元来人見知りだった自分を変えなければいけないと決心した私は大学生活の4年間を「とりあえずやってみよう」の精神で色々なことに挑戦することにしました。
「話す力」をつけるために自分が取り組んだことは大きく二つあります。一つは初対面の人に対しても頑張って話しかける、授業で発表する機会があれば積極的に引き受けたり手を挙げたりするといった日々の小さな取り組みです。小学生みたいな目標でしたが、日々意識して取り組むことで話すことへの抵抗がなくなってきたことを感じることができました。もう一つは長野県での子どもキャンプのボランティアスタッフでした。毎年夏休みに1ヶ月ほど長野県の駒ヶ根というところの施設に滞在し、全国から集まってくる子どもたちと一緒にキャンプをしていました。キャンプをする中で司会として前に立って話したり、小学生〜中学生までの異年齢の子どもたちを相手に話したりしたことで誰にとってもわかりやすく話す意識やそのための技術を磨くことができたと思います。
またキャンプ団体では「一人の例外もなく、支え守り合う関係の構築」を理念として掲げており、この実現に向けて思考し議論した経験は後の教師生活に大きく影響を与えることになりました。子どもを大人に従属するものとして扱わず、人として本当に尊重するためにスタッフとしてどういう関わりが求められているのか常に考えていました。例えば子どもに命令や指示を出して時間を守らせるのではなく、子どもが自然と時間を意識したり守ったりできるようにするために時間の見通しを子どもに伝えたり、時間を守ためにどうすれば良いかを子どもと一緒に議論したりする。また大人が子どもを支えたり守ったりするだけでなく、子ども同士で支え合い守り合う、時には子どもが大人を支え守り合う、そんな空間をつくるために大人として何ができるかを考え実行しました。その中でキャンプという短い期間の中で子どもが変わったり成長したりする姿を見て、自然と自分が教師になった時にもこんな関係を築きたいと考えるようになりました。
キャンプ以外にも色々な「経験」を積むために興味のあることに積極的に参加しました。例えば大学内の活動では手話部に入部しました。手話部では実際に難聴や聾という障害のある部活の仲間と話す中で障害とは何なのか自分の中で考えを深めることができました。また文化系の部活動、サークル活動を管理する文化会本部に所属し、副会長としてそれぞれの団体の調整役を担ったり、大学創立100周年のイベントに向けて大学職員の方と何度も議論を重ねたり準備に奔走したりしました。
他にも課外の活動では青少年センターでの居場所支援や児童養護施設のボランティアに参加したり、学生団体がおこなっていた大学生向けのキャンプの企画・運営に関わったりしていました。
思い返すと本当に「とりあえずやってみよう」でとにかく色々な場所で色々な経験を積ませてもらったなと思います。そんな日々の中で気がつけば人見知りな自分はどこかに吹き飛んでいました。
教師になってからのギャップ
教員として働き始めてからの8年間は振り返ると本当にあっという間でした。授業、児童への指導、授業の準備、保護者対応、学校運営上必要な校務分掌の業務等、実際に働き始めてみると思っていた以上に学校現場は忙しいものでした。ただ忙しい日々の中でふとした時に子どもが成長していることを実感できたり、保護者の方から感謝の言葉をいただいたりした経験はとても貴重なものだったと思います。
働き続ける中で仕事にも慣れ、責任のある仕事やポジションも任されるようになってきました。仕事をする上での充実や達成感がある一方で、学生時代に考えていた子どもと対等に関係を築き、もっと子どもの挑戦ややりたいことを支援をするために何ができるか悩むようになりました。悩んでいる中でそもそも自分のやりたいことにもっと向き合いたいなら学校という枠組みや教師という立場にこだわらなくてもいいんじゃないか、と考えるようになり転職することを決めました。
自分のやりたいことを実現するために始めた転職活動でしたが、考えていた以上に難航しました。「自分の強みって何だっけ?」「そもそも何がしたいんだろう。」と就活を初めてする大学生のような悩みをぐるぐると考える日々が続いていました。
そんな悩みを抱えている時に出会ったのがFoundingBaseでした。調べてみると地域の人を巻き込んで、子どものやりたいことをプロジェクトに実現していくプログラムを実施していることがわかりました。「これじゃん!」と感じた一方で、全く知らない地域に移住することへの不安や抵抗が少なからずありました。どうしようか悩みながら選考を重ねる中で「とりあえずやってみよう」を大事にチャレンジを続けていた学生時代を思い出し、妻からの「本当にやりたいことやろう。行ってみたら楽しいよ。」という言葉にも背中を押され、美祢に移住することを決めました。
minetoのスタッフとして
8月から山口県美祢市で運営する公設塾minetoのスタッフになり、教育を通したまちづくりについてまだまだ答えの出ていないというのが正直なところです。ただ短い期間の中で自分のやりたいことが見えてくるエピソードが二つありました。
一つは僕が赴任する前のプロジェクトでお世話になった農家の方から「俺さあ、本当にminetoに感謝してるんだよね。中学生と一緒に色々させてもらって、もう一回がんばろう。夢に向けて色々やってみようって思えたからさ。」と言ってもらえたこと。
もう一つは今自分が関わっている生徒のプロジェクトに力を貸してくれている地域の方から「俺はさ、この子が面白いことやってるなって、だから俺にできることは力を貸してあげたいって思ってるだけだよ。」と言われたこと。
二人の言葉から子どもの挑戦や成長を通して大人が巻き込まれ変わっていく、そんな場面や時間をもっともっとたくさん生み出していくことが自分に求められているmissionの一つだと感じています。
教育からまちを変えるという大きなゴールに向けて一歩ずつ進んでいくために、公設塾minetoが日々アップデートされていくようこれからも頑張ります!