木原麻里(Kihara Mari)
スペース&ツアー事業部 / 宮津市
1990年12月17日生まれ。愛媛県今治市出身。大学進学を機に京都府に住んで早15年。お香の老舗とデザインコンサル会社を経験。デザイナー時代にパートナーの転勤で宮津市と京都市の二拠点生活を始める。リモートワークをきっかけに宮津拠点の前尾記念クロスワークセンターMIYAZUに出会い、FoundingBaseに入社。
みなさんはじめまして!このたび宮津拠点のメンバーになりました、木原です。四国・愛媛県の、タオルとしまなみ海道で有名な今治市で生まれ育ちました。宮津に移住したのは3年前。海と山に近い暮らしは今治によく似ていて第二の故郷のようにのびのびと生活しています。私自身を表現するとき、「デザイナー」という言葉を使っていますが、職業や職種にとどまらない「デザイナーとしての生き方」を人生の中で紡ぎ続けられたらと思っています。これからどうぞよろしくお願いいたします!
幼少期から続く好奇心。
「私もやる!」が子供のころからの口癖です。家族一つ屋根の下、みんなそれぞれが違うことに夢中になる家庭で育ちました。輸入雑貨や専門的な文房具、海外の映画など、物珍しいもので溢れていた家だったと思います。好奇心がすくすく育ち、そのまま社会人になりました。
これまでの仕事で、同じ日本の土地でも多様性に富んだ文化や産業、企業のアイデアに触れるたび、その豊かさを支える人々の暮らしの営みと、一人ひとりの小さな生活に宿る工夫に意識が向くようになりました。日常は、決して得然だけでは成り立たない。たくさんの人の意思が介入し、彩りを与えています。何か不便があれば情報を拡散して意見を集めやすい時代にもなりました。ではその時代で私が成したいことは何か。それは、昨日より今日を良くする「日常の積み重ね」を自分で体現し、未来に紡ぎ続けることだと考えました。
京都の老舗で働く中での気付き。次のステップへ。
新卒から4年間勤めた香老舗松栄堂では配属にとらわれず様々な仕事に携わらせていただきました。主要業務の接客では、常連の方はもちろん、観光で訪れる方と接する機会も多く、お香という現代では少し特別になった文化に初めて触れる方に香りのレクチャーをしたり、イベントでお話しする時間は私にとっても刺激的な時間でした。嗅覚は繊細です。人によって好みが違うのはもちろん、気候や体調でも感じ方は変わってきます。最適な提案をするためには、たとえ常連の方であっても毎回しっかりと耳を傾けること。(これは後のデザイナーの仕事でも特に意識しています)また、観光で来られる方には念願の京都旅行で「本店」に訪れるのを特に楽しみにしていたとおっしゃる方が多いので「この人は人生で何度京都に、本店にくる機会があるのだろう。もしかしたら一生に一度かもしれない」と考えるようになり、その一度の経験を振り返った時に最高の思い出だったと感じてもらえる仕事をしようと心がけていました。
デザインの仕事を通してさらに高まる好奇心。
伏見にあるデザインコンサル会社のシュンビンに転職したのは、より幅広い分野でクリエイティブに携わりたい思いと、幼い頃から憧れていたパッケージデザイナーの夢を叶えるためでした。7年ほど在籍し、入社して間もない頃は九州の酒蔵や飲食店を中心にお土産向け商品のパッケージを担当させていただきました。訪れたことのない場所のお土産のデザイン。唐津、肥前浜、喜界島、その他、土地は知っていても自分に馴染みのなかった芋焼酎や泡盛の世界。「デザイナーになるとこんなに面白いものに出会えるの!?」といまだにその衝撃の余韻に浸っているほどには全ての案件が未知との遭遇でした。お菓子やお酒など、作り手や時期、場所が変わるだけで商品のターゲットは無限に広がります。慣れるまで担当プロデューサーには遅くまで残っていただき、どんな商品にしていくか議論を重ねる毎日を繰り返していました。ブランディングを任せていただけるようになったのは1年目の後半。商品単体だけでなくお客様の会社の売上に関わる企画書や見積もり、ロット数、販売方法、販売場所など深く携わらせていただきました。
地域×自分。これからの「在り方」を追求して。
3年前に引っ越してきた宮津は、澄んだ空気に呼応するように自然体で暮らす人々と、彼らが育む生活の心地よさが印象的でした。「田舎あるある」でよく挙げられるデメリットは全く感じなくて、むしろ全てがほどよい。過密でも過疎でもない、適疎、と表現するのがふさわしい土地。また、その土地にあるものの可能性と未来をたくさんの人が信じ、行動していて、温故知新を超えて今がまさに渦の中心となっていることや、旗印になるクロスワークセンターの存在が宮津の土壌を耕しているように感じます。
移住のきっかけはパートナーの転勤でしたが、引っ越してからはここが故郷だ!と心から思えるほど身も心も宮津に馴染んでいます。この土地では私の年齢でも若手の分類に入ることもあり、趣味の畑作業をしていると通りすがりの方々が声をかけてくださいます。ところがある日、近所の農家の方とお話しをして「楽しい暮らし」の価値観が揺らぎました。「ここは農地を借りて家庭菜園をする人が多くて農家は工夫をしないと売れない。家庭菜園は趣味だし、肥料や手間を惜しまないから美味しい野菜も作りやすい」。宮津の農業の実態について考えたのは初めてではありませんでしたが、根本的な改革や、みんなで楽しめる町づくりをするにはどうしても私一人では難しい。最初は自分で起業することも考えていました。事業化について調べていく中でさまざまな可能性に出会います。宮津にはすでに面白いことをしている人々はたくさんいる一方で、コトを起こすきっかけの場や、旗印の存在が少し弱いこと。私がまずすべきことはその「旗印」を周知させ、「何かしたい!」人々の一体感を高めることだと考えました。そして昨年。リモートワークをきっかけにクロスワークセンターMIYAZUを訪れたのがFoundingBaseとの出会いに繋がっていきます。
FoundingBaseに入るにあたり、自分自身の活動指針となるロゴを作成しました。
私が地域のひとりの人としてみなさんに約束することと、ビジョンや気持ちを表現しています。
これから出会う全ての物事に「私が関わる意味」を携えて、まちづくりに貢献していきます。