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新免 琢弥(Shinmen Takuya)

Education Div.  Manager
1985年生まれ。岡山県出身。
首都大学東京(現東京都立大学)卒業後、大阪にある高校受験をメインとした塾「類塾」で子どもたちの指導を行いながら、教室長や生徒 2 万 5 千人が使用するカリキュラムの統括を担当、数百人単位のスタッフ採用の企画実行も合わせて経験。
その後、通常の学習スタイルとは異なる様々な切り口で、子ども たちの「学ぶ喜び」を引き出す東京の著名な塾「探究学舎」で 新教室の運営や生徒募集、授業開発を行い、出張親子教室の立ち上げを経験した。
2016 年 10 月よりFoundingBaseの教育事業にプロデューサーとして携わり、公営塾や高校魅力化の運営サポート、自治体への出張授業などを担当。
現在は教育事業全体の管掌。

ガキ大将だった幼少期

小学校低学年まで、いわゆる「ガキ大将」でした。
人のランドセルを川に投げたり、人の家の壁に落書きをしたりなど、当時は本当にやんちゃなクソガキだったと思います。

自分の過去を敢えて美化してものすごくよく言えば「思いついたことはやらずにはいられない好奇心旺盛な子供」ですが、単に人の迷惑は考えず、好き勝手わがまま放題に過ごしていたように思います。
「新免くんとは遊ばせないで」というクレーム電話も、ちょくちょくかかってきていたそうです(笑)

また全ての学年で、担任の先生にたくさん叱られたのを覚えています。
先生から「なんでやったの!!迷惑かかると思わなかったの!!」と言われ続けましたが、今振り返ってもなんでやったのかはうまく説明できません。「◯◯したい!」という衝動がそうさせたのだと思います。

この幼少期の原体験は、いま教育に関わる中で、すごい大事にしている視点です。

父親の意向で、中学受験期に突入

小学4年生のときに、父親からの「中学受験するから勉強するぞ」という一言で僕の中学受験生活が始まりました。
僕の父親は家庭内で圧倒的権力を持っており、逆らうことはもちろん反論なんて絶対にできない存在でした。
そもそも小学校のテスト(カラーの裏表でやる簡単なテスト)でも50−60点くらいしか取れない僕は、まともに勉強したことがありません。宿題もほとんどやらず、放課後に居残りを課されていた僕にとって、勉強は嫌で嫌で仕方がないものでした。とはいえ、父親からの超列なプレッシャーのもと、勉強をほぼ毎日2年間続けました。

すると全国模試で偏差値が70を超えるようになり、ほんの一部の超進学校以外はどこでも受かる実力になりました。そして家から通学可能な、岡山県内の中高一貫の進学校に入学しました。

進学校で落ちこぼれた学生時代

晴れて入学できたのは良かったのですが、そもそも勉強も好きではなかったことと、”自分で勉強すること”をほぼしたことがなかったため、一瞬で落ちこぼれていきました。その状況で、家でも学校でも「どう怒られないようにするか」が自分の中心にあったような気がします。
もちろん学校のルールは守らないのですが(笑)、全力でルールに立ち向かうわけでもないという...。すごいひねくれていて、腐った性格でした。

ある家庭との出会い

そんな生活を送っていた中学3年生の僕は、たまたまある家庭の人たちと出会います。
その家庭では、「学校よりも面白い1日を過ごすなら、学校なんて行かなくていい」というぶっ飛んだ考え方を持つ父親のもと、兄弟3人とも全員が高校に行っていませんでした。彼らと関わる中で、学校と家以外の居場所ができたように感じ、どんどん距離が縮まっていきました。

また、事あるごとに彼らから「お前は自分の人生をどう生きていくのか」と問いかけられ、学校では教えてもらったこともないし考えたこともないので、何も答えられないながらも、少しずつ少しずつ将来の夢を考えていくようになります。
そこから高校3年間かけて出した答えは「一生に一度だからこそ、自分が夢中になれる仕事をしたい」という気持ちだけでした。

大学時代に初めて触れた「教育」

高校卒業後、浪人を経て大学に進学した僕は、先輩の誘いから高校生に対しての出張授業にインターンとして関わり始めました。そこで関わった少し年下の生徒たちと話している中で「自分が中高生の頃に感じていた気持ちと同じじゃん」という感情が湧き上がってきました。

なんのために勉強しているのか分からず、本当はしたくないけどイヤイヤやっている生徒たち。
中高時代に感じた学校や勉強への疑問が思い出されました。
この経験から「こんな自分だからこそできることがあるかもしれない。」と、教育に進むきっかけになりました。

「自分で選んで、自分で学んでいく中で、豊かに人生を生きる子供を育みたい」という想いを持って教育業界に就職しました。

様々な「教育」を経験

大学卒業後は、大阪にて高校受験を中心とした学習塾「類塾」で4年間働きました。
類塾では、偏差値をベースとして「学力を上げること」や受験指導に真剣に取り組みました。しかしながら、1年間頑張って志望高校に合格するまで伴走した生徒たちが、高校に入るとすぐ予備校や塾に入る姿を見て、受験という側面で彼らをサポートする限界を痛感しました。
その後、東京に戻って2年間は興味開発を中心とした塾「探究学舎」にて5歳〜高校生までのいろんな世代の子供たちに対して、宇宙や自然、歴史やアートといった様々な切り口で授業を開発し、実施しました。
そこで夢中になって授業を受ける子供たちの様子を見て「学力だけあっても、人生は豊かにならない」と確信していきます。

岡山に帰ることを決意

僕が小学5年生時に創業した父親の会社が経営難になり、いよいよ倒産かという話から岡山に帰ることを決意しました。
ただ単に岡山の進学塾に就職するのではなく、面白い教育を続けてしていきたいと考えていたところに、ファウンディングベースという会社が岡山県で公営塾をやっているという話にたどり着きました。
民間でずっとやってきた僕にとって、「町の子供たちの塾」は新鮮で働いてみたい気持ちが強くなり、岡山の吉備中央町に移住をし、いま3年半が経ちます。

いまなにをやっているのか

【子供たちの「トビラを拓く」機会を創出すること】

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いまは岡山県吉備中央町をはじめとしてFoundingBaseが関わっている全国各地の自治体の教育事業にも関わらせていただき、子どもたちの「トビラを拓く」お手伝いをしています。

それは全て「自分の人生を豊かに送ってほしい」という気持ちが根底にあるからです。
自分の人生を人に委ねるのではなく、自分の意思決定を基盤として、突き進んでいってほしいという気持ちを仕事に込めながら、日々生徒たちと関わっています。

これからどうしていきたいのか

3年間仕事していて、一番おもしろいなと思うのが「人が奮い立つ瞬間」に立ち会うことででした。それは新しい世界との出会いにワクワクした瞬間だったり、自分の長所をもっと伸ばそうと決意した瞬間や、受験に明確な目標を持って頑張ると決める瞬間など様々です。

教育事業で掲げている「トビラを拓く」機会の創出を、これからも1人でも多くの子供達に届けていきます!

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