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潟中 弘貴(Katanaka Hiroki)

教育事業部 / 美祢市
1996年生まれ。静岡県出身。U16サッカー日本代表。トビタテ!留学JAPAN6期生。 慶應義塾大学SFC卒。大学では、アフリカを中心に起業家プラットフォーム立ち上げや国際開発インターンなど複数経験。卒業後は、レバレジーズに入社。IT人材特化の転職支援を行うレバテックに配属され、クリエイターチーム立ち上げや中途採用の法人営業として幅広い業界の採用支援を行う。その後、2021年8月にFoundingBaseへジョイン。Education Div. Directorとして、山口県美祢市で中学生向け公設塾「mineto」の立ち上げに従事。入社8ヶ月で全社の『Best VALUE賞』を受賞。現在は、mineto塾長兼教育事業拠点リーダーを務める。


口癖は「みんなでやろうよ!」

静岡県の富士市という家の窓から富士山が見える街で生まれ育ちました。
基本的に放任主義で育った私は、かなりやんちゃでしたが、友達も多く先生からはなぜか好かれるようなそんな少年でした。そのため、小学校では学級委員や児童会長を任せられ、何かと組織の中心にいるような存在でした。兄と幼稚園の先生がサッカーをやっていたこともあり地元のサッカー少年団に所属。他にも水泳や英語教室、ミュージカルなど様々な習い事をさせてもらいました。親の話によるとこの時から「みんなでやろうよ!」と困っている人や仲間外れを見逃さず自然と声をかけることのできる性格だったそうです。

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「努力したら報われる」という価値観

中学校では、有名なサッカーのクラブチームに見事合格することができ、全国大会に出場。その後、世代別の日本代表に選出され、国際親善試合ではゲームキャプテンを務めるほどのめり込みました。一見輝かしい経歴ですが、実は3年生までレギュラーになることもできず、これからもサッカーを続けるか悩むまで落ち込んでいました。そんな自分を成長させてくれたのが、3年時に担当した監督の存在でした。その監督がサッカーの楽しさと「努力したら報われる」ということを証明してくれたおかげで、大切な価値観を持つことができました。サッカーだけでなく、勉強も頑張ろうと決めていたため、常にその監督には学校のことも相談に乗ってもらうほどの間柄になりました。この出会いが、初めて学校と家庭以外の「ナナメの関係」として人生に影響を与えたきっかけになりました。

人が環境を作り、人が人を創る

高校では、サッカーだけでなく文武両道を貫くため、クラブユースへの誘いを断り清水東高校に入学。そして、かつて数々の日本代表選手を輩出し、当時部員100名を超えるサッカー部に所属しました。このサッカー部で学んだことは、「人が環境を作り、人が人を創る」ということです。中学の時の監督に比べ、高校の監督は怒鳴りちらかすような指導スタイルでした。この時初めて、中学の時の自分は恵まれていたんだと気づきした。そして、その監督のおかげで素敵な環境が作られ、その環境でもまれながら成長し、今の自分が形成させれたんだと。そこから私は、「あの監督のような素敵な大人になりたい!」と強く思うようになり、監督に任せるのではなく、自分で練習環境を作り、自分でメンバーを成長させられるように努力しようと決意しました。その努力が認められ、最終的には部長を務めることもできました。

日本代表

「誰もがチャレンジできる社会」を創造すればいいんだ!

清水東高校を卒業し、慶應義塾大学環境情報学部に入学した私は、体育会サッカー部に所属。ほぼ毎日朝6時半から練習、その後電車で1時間半かけて授業に出席し、帰ってきたら自主練をするという過酷な日々を送っていました。元々プロサッカー選手だけが仕事じゃないと思っていたため、幅広い視点で学べる大学を選択しました。しかし、体育会という環境が想像以上の鎖になっていることに気づいた私は、様々なプレッシャーを背負っていたためか、なかなか結果を出すことができず、初めてサッカーにおいて挫折を経験しました。

そんな中、ある授業で難民問題を扱うことがあり、国連職員とディスカッションする機会がありました。そこで初めて自分の全く知らない世界を目の当たりにし、恥ずかしいほど世界のことを知らないんだと気づきました。そこから国際協力に興味を持った私は、外交関連を扱うゼミに所属し難民問題や世界の紛争について研究し始めました。しかし、全てが机上の空論であり現地を知らないまま学んでいる自分に違和感を感じていました。そこで先輩から「トビタテ!留学JAPANという文科省主催の奨学金制度があるから、それを使って現地に行ってみたらどうかな?」とアドバイスをもらい、徐々に海外への思いが強くなっていました。そして、せっかくこんな面白い学部に入ったのに体育会に縛られてサッカーだけの人生で終わりたくないと思い、2年の夏に体育会を引退。

その後、先輩にアドバイスをいただいていたトビタテ!留学JAPANに応募し、見事第6期生として海外へのチケットを手に入れました。1年間休学をしてイタリアと南アフリカに難民関連のボランティアとインターンを経験した私は、難民問題だけでなくアフリカの文化の魅力や若者が世界を変える可能性をとても強く感じるようになり、もっと違う角度からアフリカを知りたいと思うようになりました。そして、復学後「教育から取り組む社会変革」をテーマにした教育×地域創生のゼミに所属しました。その中でもコンゴ民主共和国をフィールドに持つコンゴプロジェクトにジョインし、現地で様々な研究や取り組みを行いました。

そこでの大きな学びは、日本を客観視したことによる「当たり前」を疑う重要性と「日本の教育格差と世界の教育格差の本質は一緒」ということです。このゼミで様々な地域にフィールドワークに行かせてもらいましたが、どうしても「経済格差≒教育格差」という構造ができてしまっていて、環境要因による選択肢の幅が決まってしまう現実を突きつけられました。これはアフリカでも一緒で「環境要因によって若者の可能性が潰されてしまう社会」は絶対に良くないと強く感じるようになりました。高校の時に強く感じた「人が環境を作り、人が人を創る」を思い出し、自ら「誰がもチャレンジできる社会を創造すればいいんだ!」と思うようになりました。自らの実体験としても、この大学における「挑戦が当たり前に享受される環境」に身を置けたからこそ今の自分がいると再認識することができました。

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点が線で繋がった「学び」と「問題意識」

ビジネスとしてアフリカの若者を救いたいという想いから就職活動を始めました。最終的に「これからアフリカに進出する可能性があるか」「挑戦の後押しができるビジネスかどうか」「事業を創れるスキルが身につくか」を軸にレバレジーズ株式会社に入社。最初、海外事業部を志望しましたが、ちょうどコロナのせいで事業縮小を余儀なくされ、IT人材の転職支援を行うレバテックに配属されました。最も売上を支えている部署で、新卒ながら新領域の組織立ち上げや法人担当として100社以上の採用コンサルティングを行いながらインターン生の教育も任されていました。

1年ほど働いてからこの人材ビジネスに違和感を感じるようになりました。人材のビジネスモデルは、「内定がでる人」と「企業」をマッチングし、人材の最適配置をすることで企業からお金をもらうシステムです。要は、極端ではありますが、優秀な人に限定し全ての人を対象するのは難しいという構造なのです。本来私が救いたかった対象は、そもそも選択肢がない人たちや選択肢があっても自ら意思決定できない人たちであり、その人たちのために介在価値を出したいと思っていました。また、内定が出る人と出ない人の大きな差は、「ポータブルスキル」いわゆる定性的な人間性が大きく影響していました。そして、その人間性を形成するのに大きく影響するのは、30代や40代からではなく10代の環境であると気づきました。

そこから、アフリカやゼミでの活動を通じて感じた若者の可能性やサッカーを通じて学んだ環境要因の重要性など今までの学びや問題意識が線で繋がり、まずは「現場で若者を対象に教育的側面から何かできることはないか」と思うようになり、たまたまオンラインで参加したイベントで知った株式会社FoundingBaseに転職することを決めました。

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「域産官学連携」でコトを創る

現在は、Education Div. Directorとして、山口県美祢市で中学生向け公設塾「mineto」の立ち上げを行っています。他にもICT支援員として小中学校のICTにおけるサポートをしています。この塾は「学力の向上」や「受験の成功」が主目的ではなく、「好奇心を持ち挑戦し続ける子どもを育む」をコンセプトにしています。なので、企業とコラボしたPBL(Project-based Learning)を実施したり学校では習わない様々なテーマを元にディスカッションをしたりと日本でも珍しい塾になっています。

正直、教育業界で働くというのは未経験であり、塾の運営など新しいことが多く不安はたくさんあります。しかし、1人で行うのではなく、自治体・学校・企業が連携して一つのコトを創っています。これは、とても意義あることであり、まさに大学時代に研究していた「域産官学連携」を体現している例だと現場にいて強く感じています。もちろんビジョンが一致していても、フラットにコトに向かうというのはそんな簡単なことではありません。しかし、だからこそモデルケースをここ美祢市で築き上げ、全国に展開していくことも考えられるので、本気でコトに向かいやり遂げたいと今は考えています。

「誰もがチャレンジできる社会を創造する」

この人生のビジョンの元、「潟中がいたから人生が変わった」と思ってもらえるような人が1人でも増えたら嬉しいなと思いながら日々精進しておりますので、これからもFoundingBase、公設塾での活躍を応戦してくれると嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうざいました!



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