見出し画像

FOUNDER'S TALK  vol.1

添田(Local Coordinator / 東京team)が共同代表の佐々木・林に、あらためてFoundingBaseの歴史についてインタビューします!
第1回目は、「ふたりが出会うまで」
ぜひご覧ください!

▶ CEO佐々木・CCO林について

画像1

▶ ふたりが出会うまで

<添田>
まずはじめに、おふたりの学生時代について教えてください。

<林>
大学1年時は「環境」をテーマにした学生団体で活動してましたね。
食料自給率をいかに上げるのか、について考えたり、そもそも地球という有限な資源のもとで生活しているってことを認識する良い機会になりました。
ただ、1年目が終わるころ、もう少し実践的な活動に取り組みたいという想いがあって。
そんな中、細田純平(現 FoundingBaseデザイン顧問)と出会って、プログラミングやコーディングに没頭していきました。
当時の慶應義塾大学の女子サッカー部のHPとか、企業からの受託制作を主にやってましたね。インターネットというツールを使ってお客さんや自分たちの想いを世に届ける。その体験を通じて、学生ながらももっともっと社会と繋がりたいと強烈に思うようになりました。
大学3年から始まった、ゼミ活動が大きな転機になったと思います。
僕は、コミュニティ論を研究するゼミを選択しました。これまでの活動を通して、社会には様々なコミュニティが存在していて、コミュニティによってそこに集う人たちもバラバラ。次第にコミュニティに対する興味関心が高まっていたんですよね。
僕が地方と初めて関わったのは、このゼミ活動とweb制作活動を通してでした。
大学1年のときに在籍していた学生団体の先輩が、福島県会津若松の食材をつかったイベントを企画しており、その中でつかうプロダクトや広報PR用のデザインを依頼されたのがきっかけです。
そのプロジェクトを通して、初めて地方の魅力に触れました。
実際に現地にも足を運び、今では業界では有名な陶芸家の方に出会い、彼の生き方や思想、そして歴史ある生活文化が色濃く反映されたプロダクトを目の当たりにし、シンプルに「こんな生き方、めっちゃかっこいい!」と感動したのを覚えています。
一方で、地方の現実も知りました。職人さんをはじめ、なかなか地方で十分な生計を立てられている人のほうが圧倒的に少ない。地方の文化や歴史、そこで活動している人たちの思想や生き方、そんな魅力を再開発していきたいと強く思ったプロジェクトでした。
そして、イベントやツアーを通して学んだことなどを発表する報告会で新たなご縁があって、大学4年からは長野県の白馬村で活動することになりました。
大学3年の会津若松での活動から、地域にどっぷりつかることになってますね。

<佐々木>
僕は大学3年時に㈱デュナミス(現 ワカツク)でインターンをしていました。
それまでは経営者がよく来るBARでアルバイトをしていて、経営者の方々とは学生ながらもよくお話しさせてもらっていて。経営者という存在、起業した人のその背景や信念みたいなものにとても惹かれていました。
たままたデュナミスの”社長の右腕”みたいな募集を発見し、「知る」だけでなく「一緒に働いてみたい」と思って応募したのがきっかけです。
そして、就活でジェイブレインという会社に出会いました。
最終面接で、「地域で事業をやっている人には、立派な信念がある。その信念を形にする術を知らないだけであり、知らないからこそ商店街もどんどんシャッター通りになっていってしまっている。その術を伝え、実践できる人材になりたいです」と想いをぶつけたところ、「ボランティアでやればいいじゃん」と一蹴されました。その後の対話も、ほとんどボロカス言われて終わった記憶ですね。
今となっては自分のためを想ってストレートにいろんな指摘をしてもらえて感謝してますが、当時は悔しさしかなくて。泣きながら会議室を出ていった記憶があります。
面接からの帰り道、ふと「あ、最後ちゃんと挨拶してないや」と思い立ち、オフィスに戻りました。ノックもせず、「ありがとうございました!」とカラ元気いっぱいで伝えましたね。
それで面白いと思ってもらったのかはわかりませんが、数日後に再度連絡をいただき、再面接になりました。
そのときは「本当にできるのか?覚悟はあるのか?」と問われ、
「”できる / できない”ではない、”やるか、やらないか”だと思う。だからやらせてほしい。」と伝え続けましたね。結果として、社長付インターンとして経験を積ませてもらいました。
経営状況の悪化もあり、結果的に僕はリクルート(当時のリクルートHRマーケティング)に入社しましたが、学生ながらに非常に濃い時間を過ごさせてもらいました。辛い記憶しかありませんが(笑)

<添田> 賢司さん、就活はしていないんですか?

<林>
ほぼしていないですね。
大学4年から始まった白馬村のプロジェクトに没頭していました。
とはいえ、親の手前もあったので、何の想いも無しに電通とリクルートは受けてみようと。そう思ったときには電通の募集は終了していて、リクルートは初回面談で落とされました(笑)
「よし、これで引き続き白馬村に集中できる!」
と勝手ながら思いましたね(笑)
まわりが就職していくなか、僕は卒業後も東京と白馬村を行ったり来たりで。その白馬村でお世話になった方は、今では僕の師匠です。
コミュニティについて学んで、実際に地方と関わるようになって、白馬村で師匠と出会って。
これが僕が地方に没頭するようになった原点ですね。

<添田> 周りが就職している中で、不安は無かったですか?

<林>
無くはなかったと思うけど、将来を考える余裕がないくらい目先のことでいっぱいいっぱいだったなぁ。怒られまくってたし(笑)
たまに飲み会とかで同級生と会って、「夢みてないで、就職しなよ」って言われることも多かったけど。お金も全然無かったし、ちょっとした劣等感を感じることもあったけど、自分で決めた道だしね。だからこそ、目の前に没頭し続けたのかもね。

<添田> 佐々木さんは、リクルートはどうでした?

<佐々木>
めちゃめちゃ素敵な上司との出会いもあって、一社会人としてはすごく成長実感がありましたね。何度かMVPも受賞させてもらって。
業務はもちろんなんだけど、同年代で将来起業を考えている仲間で定期的に集まる会がすごく刺激的だった。そこで出会ったのが、GLナビゲーションを一緒に立ち上げることになった神田です。
僕はぼくで起業するつもりだったんだけど、先に起業を決めた神田に巻き込まれました(笑)
「生まれた場所や環境によって、挑戦する機会まで奪われるのはおかしい。機会を公平にしたい!」と当時よく語っていて、神田の思想も非常に近かったんですよね。
最初はGLの仕事を手伝っている感じだったんですが、GLの出資者のところに一緒に挨拶に行こうって言われて。
同席したときに、「取締役の佐々木です」って紹介されて、そこで腹を決めた感じ。完全に騙されたよね(笑)

<添田> ふたりが出会ったのは、まだGLナビゲーション時代ですよね?

<佐々木>
そうですね。2010年の冬だったかな。GLを立ち上げて1年後くらいだったかな。

<添田> 出会ったきっかけは何だったんですか?

<佐々木>
共通の知人を介した、同世代の飲み会で出会ったのが最初ですね。
15人くらい居たんですが、たまたま目の前に座ったのが賢司で。
そう考えると、席順が違ってたらFoundingBaseは誕生してないかもしれないね(笑)

<林>
ほんとだよね(笑)

<添田> 最初のお互いの印象はどうでしたか?

<林>
就職していない僕からしたら、”できるビジネスマン”って感じだった。
ビシッとスーツ着てたし(笑)
当時GLがやっていた中途人材紹介や留学生の就職支援の事業を聞きながら、「今の人材紹介のモデルは、単なる送客ビジネスでしかない。その仕組みをあるべき形に変えたい。」って熱く語ってたのは今でも覚えてますね。
その話しから、「不確実性の高い世の中において企業が求めている人材は、これまでの教育体系からはなかなか出てこない」とか。
世の中に対して、世の中の仕組みに対して、強烈な危機感を持っていると感じたかな。

<佐々木>
とりあえず元気にグイグイくるなぁ〜ってのが最初の印象(笑)
初対面の人が多い大人数の飲み会って苦手だったし、初対面の人にいきなり全てをさらけ出す機会ってこれまで多くなかったんだけど、賢司には「ちゃんと自分の内面まで話さなきゃ」って思わせる何かがあった。
話しててテンションも合うし、なんか一緒に仕事したいと思ったね。

<添田> その飲み会の後はどうなったんですか?

<佐々木>
2ヶ月後くらいに、「あるプロジェクトで協働できないか?」って提案を持っていきました。提案書もつくって、プレゼンして。
で、見事に断られた!笑

<賢司>
うそ?笑 断った理由とか、何も覚えてないんだけど(笑)

<佐々木>
でも、なんかきっぱり断られて「やっぱ一緒に仕事したいなぁ〜」ってあらためて思ったね。どっちつかずの返答する人っているじゃないですか。そのあとの関係性も考えて。
でも、賢司はやっぱり真っ直ぐだったし、あらためて信用できると思ったよ。

提案は断られたけど、色々話す中でTeach for Americaの存在を知って、お互い勉強したり。継続的にディスカッションしてたかなぁ。

教育とか育成の話しで、「良い意味で理不尽な環境」って必要だなと思っていて。
飲み会のときにも、そんな話しをサラッとしてたよね?

<賢司>
そうそう。「理不尽だったら地方じゃん!」とかね(笑)
地方に熱意ある若者はもっともっと必要だと思っていたし、そういう子たちを地方に連れて行ったら面白いよね、って。

<佐々木>
一緒にプロジェクトやってみよう!ってなったのも、結局はその話しの延長だったよね。

<賢司>
そうだね。今でもお世話になっている宮内さん(島根県津和野町の役場職員)と僕がつながって、対話してたのがきっかけだね。
最初は全く別の案件でつながったんだけど、話していくうちに「やっぱり若者が必要だよね」って。
その話しが終わったあと、すぐに佐々木に電話したのは覚えている。

<佐々木>
そうだよね。それで宮内さんのもとに一緒に行って、いろいろと提案させてもらったね。
「優秀な若者を地方に連れて行くのであれば、裁量もセットで渡さないとダメだ」とか。

そっから生まれたのが、『Innovation for JAPAN』だよね。
それが2011年9月くらいかな。

画像2

<賢司>
11月に津和野の「町長を囲む会」をやってね。
9月に決まって、死にものぐるいで準備したなぁ。色んな若者に声かけて。
その会に、今は津和野町と吉備中央町のManagerを担ってもらっている坂和も参加してくれて。
大学の後輩だったし、「とりあえず来い!」と(笑)

<佐々木>
で、翌年の2012年4月から津和野町で町長付プロジェクトが始まった。
坂和を含めて4人の若者が実際に津和野に入り、それぞれ様々な活動に取り組んでいったよね。

<林>
僕は相変わらず就職せずに地方プロジェクトに没頭していて、お金もなかった。Innovation for JAPANの取り組みも売上をあげるモデルではなかったし、この取り組みを続けるためにもアショカ・ジャパンのスタッフとして働き始めたのもこの頃。
結果的に、FoundingBase創業と同時に僕も津和野に移住したね。

※FoundingBaseでの活動が認められ、2017年に日本人6人目となるアショカフェローに選出されました。

<添田> 
その約2年後、正式にFoundingBaseを立ち上げに至ったと思うんですが、何で会社を創ったんですか?

<佐々木>
プライベートの話しだと、母親の余命宣告は大きなきっかけではあった。
当時はGLの役員でもあったし、代表の神田には当然ながら相談して。家業の跡継ぎってことも頭をよぎったというか、継がざるを得ないかもって思ってた。
賢司にも相談したんだけど、シンプルに「佐々木さんは、どっちがやりたいの?」って。
実際、津和野町での取り組みがめちゃめちゃ楽しかったんだよね。
なんか、初めて自分たちの思想を世に出したというか。
色んな人から問合せをもらって、団体には色んな人が出入りして。
”儲かる / 儲からない” って基準だけでなくて、色んな人の『共感』を生んでいる感じがして。賢司に家族のことを相談しつつも、やっぱりワクワクする気持ちが勝ったってのが大きいかな。

<林>
ほんと僕も同じで。
坂和をはじめ津和野に飛び込んでくれたメンバーはすごく頑張ってくれてたし、何より自分自身もめちゃくちゃ面白かった。
それと同時に、「新しい社会を創る」という理想に思いっきり深入りしたいと強く想いはじめた。
それを実現するためには、団体ではなく株式会社としてリスタートしたい。
佐々木さんの家庭状況はあったけど、一緒に会社を創りたかった。

<添田> よく聞かれると思うんですが、なぜ共同代表にしたんですか?

<林>
僕は別になんでもいいやって思ってたけど、佐々木さんから提案もらったから。僕はそれだけ(笑)

<佐々木>
想いを共にして立ち上げるから、フェアでいたかったってのが大きいかな。
Innovation for JAPANで売上があったわけでもないし、会社を創ったところで創業数年はどう考えても収益的に厳しいのは見えていた。
それぞれに色んな苦労がかかるけど、お互いそれぞれの分まで一緒に背負っていきたいと思ったから、僕は共同代表にこだわってたかな。
とはいえ、登記上の問題もあって社長は決めなきゃいけないと。
ジャンケンして、賢司が勝ったから社長は賢司。
のハズだったんだけど、契約・押印作業やら事務作業が嫌だってので、結局僕が社長になった(笑)
色んな人に、「共同代表だけはやめとけ」って言われたけど、共同代表でやってきてよかったと今でも思う。

・・・・・・・

今回は、ここまでです!
次回は、FoundingBaseを立ち上げてから現在に至るまでを振り返っていきます。

vol.2はこちら

FoundingBase Bookはこちら



54
「自由」をUpdateする というMISSIONのもと、地方を軸に事業展開している地方共創ベンチャー企業です。

こちらでもピックアップされています

活動Report
活動Report
  • 23本

各拠点の活動の様子を紹介します。