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上村 小春(Uemura Koharu)

教育事業部 / 根羽村
1995年生まれ。兵庫県出身。大学では、教育に関する諸問題を研究。また、キャンプカウンセラーとして小中学生を中心としたキャンプを主催し、年間10ほどのキャンプを企画・運営。大学卒業後、新卒でTeach For Japanに参画。6期フェローとして、福岡県内の小学校で3年間勤務。その後、学校の外から教育に関わりたいと考え、株式会社FoundingBaseキーマンとしてジョインし、北海道安平町にて教育コンテンツを製作。2023年から長野県根羽村にて村営塾げんの運営に携わっている。


「なんでもできる!」と思っていた幼少期

小さい頃から、歌や踊りが大好きでした。幼稚園くらいの時に、いろんな曲を歌って親や親戚の大人たちに「上手だね〜」と褒めてもらっていたことを今でも覚えています。また、母が保育に関わっていたため、お菓子づくりやお手伝いをさせてくれていて、たくさん褒めてもらっていました。この幼少期の経験が、「自分のしたことで相手が喜んでくれる」ことの嬉しさや「前に立って何かすることの喜び」に繋がったとのだと思います。

母の話をすると、母は基本的に「自分のやりたいことやればいい」という人でした。自由にさせてくれる反面、自分で責任を取るということを大事にしていました。そのため、「◯◯をしなさい」と言われた記憶はほぼありません。例えば、小学生の頃、宿題をしていないことが母にばれた時には「お母さんは困りません〜。あんたが困るだけ。」と言われました。また、中学生の時に自分で入りたいと言って始めた塾を辞めたいと言った時には、「自分で入った塾やろ。」と言われ自分で塾の先生に電話をして辞めました。こんな母に育てられたので、「自分のことは自分でする」ということが身につき、「なんでも自分でできる」と自負していました。

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「なんでもできる」→「私がやらなきゃ」になった中学時代

地元の中学校は、授業妨害や喧嘩が日常茶飯事でした。相変わらず前に立つことが好きな私は、行事でクラスを仕切り、「やりたい」が先行して生徒会長もしていました。幼少期の「なんでも自分でできる」という気持ちは「私がしなきゃ」という責任感に変わっていきました。荒れた中学校の中で、私は常に「正しくなければいけない」と思っていました。とにかくダメなことはダメ。自分の意見が絶対に正しいと思い込んでいたため、それを疎ましく思ったヤンチャな子達に暴言を吐かれたり、部活の友達からは無視されたり・・・。今思うと独りよがりな行動をしていたからだろうと思うのですが、その時はとにかく突っ走るのみ。そして、暴走しすぎていろんなものに衝突する日々。

そんな中学時代は、周りの同級生や自分のこと、学校のことで感情がごちゃごちゃしていました。荒れている学校、前に立ってどうにかしたいけれどできない自分、何もしてくれない(ように見えていた)先生達・・・。いろんなものに不満が溜まって、ずっと何かに悩んで「モヤモヤ」している状態でした。でもなぜか、「こんな学校はダメ!私が教育を変えてやる!」と真剣に考え、「中学校の先生になる」という夢を持つようになっていました。正義感の塊ですね。
大人になった今も地元の友達とは仲がよく年に1度は会っていますが、今だに「こは(私)が教育変えるんやろ!」と言われます(笑)

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「モヤモヤ」に向き合ったことで見えた「やりたいこと」

高校は、中学校とは打って変わって落ち着いていました。部活や行事に明け暮れて、中学校時代のモヤモヤは完全に忘れていました(笑)
進路についても「先生になるなら教育大か教育学部に行こう」くらいにしか考えていませんでした。しかし、受験が近づくと、自分のしたいことに向き合い始めた私は、中学校の時に感じた「モヤモヤ」の原因を考え始めました。でもその時に答えは出ませんでした。ただ、「学校の校則って必要?」「荒れの原因は家庭環境?」「先生たちの働き方は?」など、その時の私では解決できない問いが浮かんできました。
そして、教員になるよりも、この「問い」を探りたい!と考えました。その上で、教員になるのか他のことをするのかを決めたいと思い、「教育学」が学べる大学に進学することにしました。

「学校」だけが全てではない

大学では、「自分のしたいことが学べる!」と思っていたのですが、教員免許取得のための単位が思ったよりも多かったり、先生になることを目指している周りの友達になじめなかったりしていました。大学の授業は適当に受け、先輩に誘われて参加したボランティアにどっぷりはまってしまいました。そのボランティアは「キャンプカウンセラー」というもので、小中学生やその家族を対象にしたキャンプを主催するというものです。1からキャンプを創り上げることや、子どもたちの成長を間近で見届けることに、何よりも喜びを感じていました。

私が特に力を入れていた「中学生キャンプ」の最中、ある子が「学校でいじめられている」ということを打ち明けてくれました。その時私は、何と声をかけていいのか分かりませんでした。ただ黙ってその子の話を聞くことしかできなかったのです。しかし次の日の朝、その子は私に「ありがとう。学校でもがんばってみる。」と言ってくれました。私は何もしていないけれど、その子は私に話すことによって気持ちの整理ができたのかもしれない。また、学校以外のコミュニティーを持つことで気持ちが楽になったのかもしれない。と思いました。これをきっかけに、私は学校だけでなく、いろんな人が子どもたちにかかわることが大切だと気づきました。また、中学時代のヤンチャな子たちも、学校以外の場で発散できるところがあったり、認めてくれる人に出会ったりしていれば・・・。と考えると「学校だけが教育をする場ではない」と考えるようになりました。

「先生」という経験をした3年間

外から教育にかかわる方法はないのかを調べていたところ、Teach For Japan(NPO)の「フェローシッププログラム」というものに目が止まりました。教員免許の有無に関わらず、教育に関心のある人が期間限定で学校現場に入る」というプログラムに衝撃を受け、「ここに集まってくる人はきっと面白いはずだ」「2、3年で現場を知り、次のステップを見つけられる」と思い、このプログラムを通して小学校の先生として働くことに決めました。

1年目は、輝かしい成果を残している先輩や、学校や地域の方々と上手くコミュニケーションをとり、どんどん提案をしていく同期と自分を比べては、「何もできていない」「何のためにここに来たんだ」と悩んでばかりでした。授業技術もない、新卒だからなんの経験もない。何の武器も持っていないまま素手で戦っているような感覚でした。
そんな中でも、とにかくいろんな先生に授業や子どもとの関わり方について教わり、その都度やってみるということを繰り返していました。「先生なんて・・・」と先生を嫌い、「教育を変えてやる!」と思っていた自分が本当に恥ずかしくなりました。想像よりもずっと、先生方は一生懸命子どもたちのことを考えているし、こんな自分に対してもよくしてくれている、そんな環境だったからこそ、私は「先生」として3年間子どもたちにかかわることができました。

先生方の素晴らしさを感じた一方で、先生の「ビジョンが見えにくい」ということに違和感を感じました。子どもたちに愛情を注いでいることは確かだし、きっとそれぞれに熱い思いがあるはずなのに、一人ひとりの先生がどんな想いを持っているのかということが感じられなかったのです。激務ゆえ「こんな子どもになってほしい」「こんな子どもを育てたい」ということを話したり、共有したりすることはほとんどありませんでした。また、「学校を開いて、みんなで協力しましょう」とはいうものの、実際には難しかったように思います。私自身も、様々なところで外部と連携したいと思ってはいても、思うように進められなかったのが現実でした。

そして私は、学校という枠にとらわれることなく、地域や社会と繋がりながら、包括的に教育を変えていきたい。次はそんなフィールドで挑戦したいと思い、学校現場から離れることに決めました。

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子どもも大人も、みんなが「いきいき」するために

FoundingBaseに参画した決め手は、「地方共創」という考え方に共感したということと、地域の課題を洗い出し伴走しながら解決していきたいと本気で思ったからです。地域には、様々な課題や取り組んでいくべきものがあると考えます。その中の1つに「教育」があるのだと私はとらえました。学校や教育をそれ単体でよくしようとしても上手くいかないということは、教員時代に感じたことの1つです。教育を変えることだけが目的ではなく、それにより地域に活気が溢れ、他の課題にもよい影響が生まれるといった流れをつくっていきたいと思っています。

また、教育を中心に地域を盛り上げていくことができればと考えています。教育は誰もが関わったことがあり、関心のあることだと思います。自分のまちの子どもたちがいきいきとしていれば、そのまちの大人たちも自然といきいきしてくる。逆に、地域のいきいきした大人が子どもたちに関われば、子どもたちに刺激になる。そうやってお互いに影響し合うような環境をつくっていきたいと思っていますし、FoundingBaseでは、それができると思っています。

今の自分にできること

私は現在、岡山県の吉備中央町にある町営塾「kii+」でスタッフをしています。4月からスタートし、まだまだ分からないことだらけですが、とにかく目の前の生徒と向き合う日々です。その中で感じたことは、塾としての「使命」と、このまちであることの「価値」です。

「生徒一人ひとりの自己実現」をサポートすることは、塾としての「使命」だと思っています。生徒自身が「これだ!」と思った道を決めきること、そしてそれに向かって進んでいくことができるよう全力で伴走していきたいと思います。

そして、吉備中央町だからできること、吉備中央町でしかできないことを見つけ、カタチにしていきたいです。これが、このまちであることの「価値」です。私の原点である中学校時代には「学校」というものしか社会を知る場所はありませんでした。「学校が全て」だったのです。今は学校だけでなく、「kii+」で、この「まち」で、子どもたちが様々なことを学び、知り、挑戦していってほしいと思っています。そして、このまちで生まれ、このまちで育ったことに誇りを持ってほしいと思っています。

人生をかけて伝えたいこと

今の私は、どんなカタチであれ人生を通して教育者としていろんな人に関わっていきたいと思っています。その中で大切にしていることは、「可能性は広げるものじゃない。みんなが持っているもの。」ということです。一人ひとりが持つ可能性に、本人が気づくか気づかないかだと私は思っています。子どもたちが、小さな「できる」を日々感じ、それを積み重ねていくことができれば、自分の可能性にも気づくことができる。その可能性に気づいた時にどんどんやりたいことに挑戦していくことができると考えています。それは、子どもだけではなく、大人もだと思っています。「全ての人が、自分の可能性に気づける社会」へ、これからも進んでいきたいと思います。


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