
池田 和也(Ikeda Kazuya)
Community Coordinator / 三条team
1990年12月生まれ。佐賀県小城市出身。国際基督教大学を卒業後、FoundingBaseの新規取り組みであった岡山県立和気閑谷高校の「高校魅力化プロジェクト」に参画。その後、国際進出支援を行うベンチャー企業を経て、2018年4月にFoundingBaseに復帰。2019年11月よりCommunity Coordinatorとして新潟県三条市での事業づくりに従事。
FoundingBaseとの出会い
大学4年のときに、FoundingBaseが行っている取り組みに参加したのがきっかけです。既に就職先も決まっていたので、就活の一環という気持ちは全くなく、「大学卒業前に面白そうなことにはやってみておこう」くらいの感覚でした。
FoundingBaseでまず取り組んだのが、「シゴトカイギ」というイベントの立ち上げです。地域でビジネスを立ち上げるにあたって、「時代を変えるのは、いつだって若者だ」という信念と、「個人の価値の最大化を通して、コミュニティの価値を最大化する」という我々のスタンスが組織の根本にありました。その想いを伝播し、少しでも若者のキッカケになれば、という想いで立ち上げたのが「シゴトカイギ」です。
実際に地方で活躍されている経営者や、様々な分野のトップランナーの方々に参画頂き、「人生に正解はない。芯のある生き方に触れてもらうこと」を熱意ある学生に伝えるイベントでした。
イベントの企画経験も無ければ、経営者の方々と接した経験も全く無い中でのスタート。予想以上に大変でした。ゲストの方々から企画の甘さを最後の最後までご指摘頂いたり、イベント前日は「本当にみんな来てくれるのだろうか?」と不安で眠れない日が続いたくらい、当時の僕にはプレッシャーでしたね。
結果として、複数回に渡って開催した「シゴトカイギ」を通じて、実際に地方に行って起業した学生、就活の方向性が固まった学生、生き方について真剣に向き合い始めた学生、色んな変化を生み出すことができました。
もちろん、その変化を生み出したのはあくまで学生たち本人です。ただ、少しでもそのキッカケを提供できたという喜びと、やり切った充実感はこれまでに感じたことが無いものでした。
”本気でやる”とは、こういうことか、と。イベントを通して一番変わったのは、僕自身だったな。今あらためて振り返ると、そのくらい大きな機会でした。
初めての地方プロジェクト
その後、FoundingBaseの新たな取り組みとして、岡山県和気町にある高校魅力化プロジェクトの立ち上げの話が出てきました。
ただでさえ人口減少や少子高齢化が続く中、地方高校における入学者数の定員割れは、言わば必然のように思えます。待っているだけでは変わらない定員割れという事実を、「◯◯高校に通いたいから、◯◯町に行きたい!」と思ってもらえるくらいのコンテンツを創り、発信し、魅力化に繋げるという、高校や地域と連携したプロジェクトです。
「シゴトカイギ」を通じて、僕自身新たな機会を模索していたタイミングでもあり、真っ先にプロジェクトへの参画意志を伝え、岡山県和気町に着任することになりました。
着任後のメインミッションは、魅力化に繋がる教育コンテンツの企画開発。
「シゴトカイギ」のときと同じで、全く経験の無い分野でゼロからのスタート。そう覚悟して臨んだプロジェクトでしたが、実際には違った感覚も得られる事ができました。
教員免許を持っているわけでもなく、教育に対する豊富な知識があったわけでもありません。教育委員会や現場教師の方々から厳しい指摘を頂いたり、質問の答えに窮する局面は当然ながら多々ありました。また、初めて「公」の方々と仕事をするという意味で、連携の難しさや組織構造上での複雑さは、もの凄く感じましたね。
それでも挫けずに走り続けられたのは、”コトに誰よりも真剣に向き合い、誰よりも考えて行動することで、支援者・理解者が増え、仲間になってくれる”ということを既にシゴトカイギを通じて体感していたからです。
実際に知識の無い僕に親身になって教育のイロハを教えてくださる方、現場の課題を赤裸々に語ってくださる方が増え、いつしか未来の教育について議論できる関係性を築けるようになりました。
結果として、新たに23コンテンツほどを公教育の場で実施することができ、現在でも高校授業の柱ととして継続されています。(2017年 「第7回キャリア教育推進連携表彰」の最優秀賞を受賞)
そして、2年間のプロジェクトを経て、僕は東京に戻ることになりました。
※高校魅力化に取り組んだプロジェクトメンバー
FoundingBaseを離れる、という決断
東京に戻った僕は、ある種の充実感で一杯でした。”FoundingBaseではやり切った”という想いと、”英語を活かして国際進出支援のような仕事をしたい”という想いが重なり、一度FoundingBaseを離れる決断をします。
ベンチャー企業に就職し、国際進出するクライアント企業の商談に通訳として同席したり、契約書の翻訳など様々な経験をさせて頂きました。充実感や自己成長といったものを考える暇もないくらい働いていましたが、一方で、ずっと言語化できないモヤモヤも抱えていました。
代表の佐々木(CEO)とはFoundingBaseから離れた後も定期的に会っていたこともあり、率直にその想いを伝えたところ、自分の葛藤がクリアになったのを今でも鮮明に覚えていますね。
一つは、今の(当時の)自分が、”主体者”では無かったところ。業務をする上ではもちろん主体性を持って取り組んでいましたが、あくまで事業主体は海外進出するクライアントです。一方で、FoundingBaseでの僕は常に事業主体者として活動させてもらっており、事業主体者だからこその意思決定の難しさやコトを動かす苦楽を経験していました。どっちが良い悪いではなく、どちらも価値あるビジネスですが、僕個人としては物足りなさを感じていたのが正直なところでした。
そして二つ目が特に強烈だったのですが、「自分がありたい姿に近づいているのか?」という問いに自信を持って答えられなかったことです。スキルを付け、立派なビジネスマンになっていつかはFoundingBaseに戻る。退職時に宣言した将来の自分に対して、1年経っても近付けていないことへの苛立ちと、情けなさ。決して環境のせいにしていたわけでは無いですが、”このままではダメだ”という想いから、FoundingBaseへの復帰を懇願し、再度ジョインすることになりました。
「自由」な意思決定
FoundingBaseに戻ってからは、東京×地方のコミュニティづくり、採用面談、新規事業立ち上げ、バックオフィスの整理など、自分にできることは何でも手を挙げて取り組みました。特に採用面談には多くの時間を費やし、「何事も結果はわからない。けれど、自分で自分の人生を選択する人を増やしていきたい」と伝え続けてきました。
そして今年の10月に、社員合宿でFoundingBaseの存在意義、つまりMISSIONをあらためて言語化する機会がありました。
そこで発表されたMISSIONが、「自由」をUpdateするです。
FoundingBaseの定義する「自由」とは、”自らに由る”ということ。他人や他のコトに由って、現在があるわけでも、未来がつくられるわけでもない。自分にとっては、原点回帰となるすごく良い機会でした。
何者でもない自分がシゴトカイギに没頭し、和気町のプロジェクトに没頭する時間は、とても愉しかった。もちろん色んな人の支えがあってこそですが、大前提、”自分がやり切る”と決めたからこその愉しみだったんですね。
もう一度、自分で決めて愉しむ。そう決心し、再度地方プロジェクトに入る決断をしました。
地域での再挑戦。いざ、三条市へ。
そして、僕は11月1日に新潟県三条市のプロジェクトに着任しました。
FoundingBaseとしても初めてのお付き合いとなる三条市とのプロジェクトです。古くから金物工業で栄えた場所で、今でも数多くの産品や技術が受け継がれている、まさにその地ならではの強みがある貴重な場所だと感じています。
取り組み自体はまさに今がスタートラインですが、三条市に根付く文化や歴史を紐解きながら、日本の地方におけるロールモデルとなるような場所になるべく、たくさんのチャレンジをしていきたいと思います。
そのためには、まずは自分自身が誰よりも三条のことを理解し、常に未来を見続けること。地域における実践者として一つ一つ丁寧かつ大胆に、事業創りをしていきます。
今の自分にできることはまだまだ少ないですが、胸を張って自分が成してきたことを伝えられるようになり、その行動や結果が、誰かの一歩を踏み出す後押しとなれるように、これからも励んでいきます。