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片岡 俊人(Kataoka Shunto)

スペース&ツアー事業部/あさぎり町team
2000年12月生まれ。千葉県船橋市出身。地元の高校を卒業後、早稲田大学文化構想学部に進学。在学中は海外への興味から東南アジアでのボランティア活動やスペイン留学を経験。2024年4月にFoundingBaseにジョインし、あさぎり町でコミュニティースペース事業に携わっている。

人の気持ちを考えなさい

小中学校の記憶といえばサッカーをしていたことばかりです。
仲のいい友達と練習をしたり試合に行ったりするのが楽しくて、サッカー部に所属していました。
しかし、今思えば友達と一緒に何かを頑張っているのが好きだっただけで、試合に勝ちたいという気持ちは希薄でした。だから大会で負けたりしても悲しくはなく、周りが泣いてるのに合わせて泣いたふりをしていた覚えがあります笑

活発なサッカー少年でしたが、幼少期から周りの顔色を窺う性格でもありました。
「人の気持ちを考えなさい」
とよく母から言われていたからだと思います。

「そんなん分かるわけないじゃん!」
と反抗しながらも、友達の気持ち、親の気持ち、先生の気持ちを考え、周りの意見に従うようになっていきました。

だからこそ学校では母と先生に言われるがまま勉強していました。
基本的に勉強は嫌いでしたが、父の影響で英語だけは好きでした。
父は海外出張が多く、行くたびにイギリス人から服をもらったとか、オランダ人とご飯を食べたとか海外での話を楽しそうにしていました。
この頃から英語を話すことや海外に住むことに対する憧れがありました。

やるの、やらないの?

高校は通いやすい範囲で1番偏差値の高い高校に行きました。
これも母や先生が喜んでくれるから選んでいただけでした。

しかし、この高校で周りに流されていただけだった自分が少しずつ変わっていきます。

この高校は自由闊達という校訓を掲げ、3年次には受験勉強より文化祭に力を入れるような変わった校風の高校でした。
だからこそ周りに流されているだけでなく自分で判断しなければいけない場面も多くありました。

例えばサッカー部は初め22人いたのが終わりには10人まで減りました。。何か大きな問題があったわけでもなく
「文化祭に力を入れたい」
「受験勉強に集中したい」
などそれぞれが考え行動していました。

また3年生の夏には文化祭の劇で役者をするか決めなければいけません。
役者をするというのは3年生の夏休みを文化祭に費やすということで、受験を控える中でとても大きなことでした。
「文化祭で受験を無駄にするのはバカだ」
という人もいれば
「浪人してでも人生に一度の文化祭を楽しんだ方がいい」
という人もいます。

このような状況になる度になんのために部活動をするのか、なんのために文化祭をするのか、なんのために受験をするのかなど自分で考えて決断しなければいけませんでした。今までただ周りに流されていた自分にとっては大きな変化でした。

結果的に自分は部活動を最後まで続け、役者もして3年生の夏休みは文化祭に費やしました。常に自分の判断基準は「楽しそうな方」でした。
これはこの時から今も変わっていません。

幸せはお金じゃないっぽい

大学は東京の早稲田大学に進学をします。
選んだ理由は周りが目指すし、親も喜ぶからでしかなかったと思います。
当時は良い大学を目指すことに疑問はなく、大学の後は良い企業に入ってたくさんお金を稼げれば良いなーくらいに考えていました。

大学では「海外いけるなんて最高じゃん!」と、国際ボランティアサークルに入ります。
1年生の終わりには活動としてミャンマーへ10日間の渡航をします。
そこで実際に見たのは、ボロボロの服を着た子どもや古びれて異臭のする街など衝撃的なものでした。
しかし、それよりも衝撃的だったのは現地の人たちが優しさに溢れ、多くの人が楽しそうに暮らしていたことです。
レストランで忘れたティッシュを走って届けに来てくれたり、学校でイベントをすれば子ども達はなんでも手伝ってくれました。

「お金や物を持っていなくても、人々は助け合って幸せそう。」

将来はお金を稼げれば良いなーと考えていた自分にとって、豊かさとは何か、自分はどう生きたいのかと考えさせられる経験でした。

また、この経験からもっと海外でいろんな経験がしたいと思い、1年間のスペイン留学に行きます。
スペインを選んだ理由はサッカーが好きなことと英語以外の言語も学びたいと思っていたことです。

留学中はたくさんの旅をして、様々な人と出会いました。
中でもスペインの山奥に住む夫婦と2週間過ごした経験が忘れられません。
彼らはオフグリット(公共の水、電気、ガスを使わない)で生活しながら、多様な植生に溢れた森を作ろうと毎日畑作業や家づくりをしていました。
そのオフグリット生活は不便だらけで、シャワーだと言って紹介されたのはペットボトル一本の水だけでした。森でそれを被るのが彼らのシャワーです。
ちなみにトイレは袋にして、おがくずで匂いを消します笑

彼らはそんな不便な生活をしながらも今まで会った誰よりも希望と情熱に溢れ、誰よりも毎日を楽しんでいました。
「幸せとはなんだろう」と考えていた僕にとって、もう何が必要なのか分からなくなる経験でした笑

その経験をしたのは日本への帰国が迫って、就活嫌だなーと悩んでいる時期でもありました。
しかし彼らと生活する中でそんなことに悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなり、
「人生楽しまなきゃもったいない!」
と将来に対して自然と前向きになっていきました。

地方は魅力と課題で溢れている

帰国してまず思ったのは日本の地方を見てみたいということでした。
海外にいる中で日本のことについて聞かれることは多く、その度に自分は日本について全然知らないと思わされていたからです。

そんな想いを抱える中でご縁があり、長崎県西海市の畜産農家さんの家で1ヶ月一緒に生活をしました。

そこでは日々の仕事に追われながらも、地域で支え合って暮らす地域社会を経験しました。
自分たちが忙しい時は近所の人が掃除をしにきてくれ、近所の人の田植えがある時にはそこに行く。今まで感じたことのない連帯感や人の優しさに充実感を覚え、今まで考えていた「幸せ」の1つの答えを見つけたような気持ちになりました。

また同時にそこでは「地方には課題が多い」ということも実感しました。
畜産農家さんは牛や野菜のプロでも販売や企画にはあまり時間を割けておらず、常に経営の問題も抱えていました。
他にも耕作放棄地が増えている、山の水路を整備する人がいない、お店が減っているなど課題で溢れる地方の現状を見ました。

そんな時に就活サイトでFoundingBase と出会いました。
会社の理念や働き方を見た時から「これだー!」とワクワクする気持ちが止まりませんでした。
理由はいくつもありますが、自分の人生にとって「人」が大事であると思っていた自分にとって納得感がありました。
「地方共創」として自分たちが入り込んでまちの課題に向かい、まちの人と一緒に地域を創り上げていくことに惹かれました。顔が見える人達のために何かをすることは自分にとって何よりもの喜びです。
また、FoundingBaseには一緒に働きたいと思う人が多くいました。説明会やnoteの記事を読む中で、自分の信念があったり仕事に対するやりがいを自分で見出している人が多いと感じました。そんな自分自身の「自由をUpdate」し続ける人たちと一緒に仕事をしたいと胸が高鳴りました。

今度は自分が人をワクワクさせる番

これから熊本県のあさぎり町でコミュニティスペース事業に携わります。
ここでは関わる全員が今を愉しむ未来を創っていきたいです。
今まで自分は楽しそうなコト・モノそして人に惹かれてきました。今度は自分があさぎり町の人と一緒に創る番です。

最近までまちづくりについて少しも考えたことのなかった自分は知識も経験も全くありませんが、未来にワクワクすることを忘れず、日々の業務に向き合っていきたいと思います。


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